私は1996年に摂理に来ました。
1998年頃までは、先生(鄭明析牧師)に頻繁に会っていました。
日本で何度か。韓国月明洞でたびたび。
でも先生が1999年に海外に行かれてからは、会う回数が激減しました。
2000年代前半、日本に何度か来られていたのでそのときは会いました。
なので2018年、今年に至るまで大よそ20年間、会っていなかったと言えます。
先生に会っていなかった時の私個人を考えるならば、時には1998年に時計を戻したいときもあります。いろいろあったし、いろいろやらかしたし、消しゴムで消してしまいたいと何度思ったことでしょう。
「全ての記憶を忘れさせてください」と祈ったことも複数回ありました。神様はどれだけ心を痛めていらっしゃったでしょうか。
しかしこの20年を振り返れば、やはり感謝なことが山ほどあります。
特に私はここ5年ほど、たった一人の誰かに伝わるならばと思い、ずっとブログやSNS、サイトなどを作成して更新してきました。
それは何故か?
私が直接見た聞いた、先生のその姿を伝えたかったからです。
何度も、先生のことを批判する文章も読みました。話も聞きました。
被害を受けたという女性たちの話も確認しました。
裁判の経緯も全て調べあげました。
それでも、私が見てきた先生を信じることをやめませんでした。
悔しかったです。
先生が誤解されていることが。
でもそれ以上に悔しく、なおさなければいけなかったのは
発信しなかった過去の自分でした。
「あのとき、発信していたら。正しく伝えていたら。」
正しいと思うなら堂々と発信してみたらいい。
伝えるべきことがあったら、伝えなくてはいけない。
ブログも一日も欠かさず2014年6月から更新して、いま5年目。
その間、凄く疲れたこともあったし、更新せずに寝たかったこともあったけれども
私が見てきた先生を伝えたい、私が見てきた摂理を伝えたい、そう思って更新してきました。
また、自分も指導者の一人なのもあり、自分が毎日発信や更新せずに、自分が実践せずに 人々に教える資格なんて1ミリもないと思う心も、毎日発信した理由の大きな一つです。
先生が日々、実践する大切さを何度も何度も教えてくれました。
指導者の行いが
下の人たちよりも勝(まさ)ってなくていいでしょうか。行いがなければ霊の変化もありません。
止まっている人生です。
衝撃的に悟りなさい。御言葉より
いつもブログを読んでくださってる方々
偶然にもこの記事を読んでくださってる方々
全ての方に本当に感謝します。