摂理にいて良かったこと。私が今、幸せであること。
摂理に来て今や長く立ちました。
その中で本当に本当に色んな出来事や事件があって
もう300年くらい生きたんじゃないか?と思ってしまう。
先が真っ白で全く見えず
「いったいこれからどうなるんだろう」
と思ったことも何度もあったし
人とぶつかったこと
人を傷つけてしまったこと
お祈りしたほうがいいと分かっていたけれどもお祈りできなかったこと
神様が私を愛してくれてると聞いても信じられなかったこと
こういうことを振り返るとキリが無い
それでも今、私が神様を愛してお祈りし、御言葉を聞けるということ。
感謝できないような状況でも感謝できるようになったこと。
だから私は幸せです。
摂理にいて良かったと思います。
<現実>だけを見ないで、<未来>を見て、
希望と喜びで「最後まで」「完全に」行なわなければならない。
これが「人生を成功する道」だ。
摂理の鄭明析牧師 明け方の御言葉より
自分が最善を尽くして労苦し努力したことは、うまくいかなかったとしても、
自分が最後まで諦めなければ、その労苦による運がいつもついて来る。
摂理の鄭明析牧師 明け方の御言葉より
車を運転していると、たまに不安になることがあります。
それは「この道で目的地にたどり着くのか?」ということ。
目的地にたどり着くと安心するわけです。
そして通ってきた道も正しかったと分かるわけです。
目的が成されたから。目的が成されない道は、どんなに過程がよくても最後に残念な思いをしますよね。
箱根駅伝の選手が途中でどんなに頑張っても、最後のゴールが違った場所だった・・・なんてことが発覚したらどれだけ勿体ないことでしょうか。
これと同じく、摂理に来てから色々あったけれども今、私が幸せだということは過程も何かしら必ず意味があったということ。
途中ではこの道があってるかどうかは判断できない。
だけれども最後まで行ったときにあっていたか分かる。
最後になってはじめて、すべてをはっきりと顕わにし、見せる。
行く途中でやめたら過程だけを見て、終わる。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より
確認できるまで諦めないで、最後まで確認しなさい。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より
摂理に来なければ体験しなかったこともあった。でもその一つ一つが感謝だし、直すべきところは潔く直して、もう前を向こう。今はそのように思えます。また落ち込むことがあるかもしれない。それでも私には神様がいるから。だから大丈夫。
御子と一緒に行なえば、もし苦労するとしても、
あとでは<祝福>であり、<幸せの道>だ。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より
皆さんは今、幸せですか?
幸せの基準は何ですか?
幸せに誰でもなりたいですよね。
幸せはある。しかし次元の高いところにある。
だから幸せになるためには次元を上げて生きなさい。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より
アーメン。
私は続けて次元を上げていきたいです。
心の次元、考えの次元、行いの次元。
必ず最後まで。一歩ずつ。
一度に無理にするな。
毎日根気強くする持続的な人になりなさい。
最後まで行く人になりなさい。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より
主よ、私は今、本当に幸せです。