摂理ブログを書いていて思う 「苦しみも悲しみも喜びも嬉しさも、全てが経緯になった」

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摂理に来てから色んなことがあった。
それまでの人生の何十倍もの月日を生きたような気がする。
それだけ中身が濃くて、経緯が深い。
いろいろあったけれど、結局は全てが感謝だ。
今まで摂理ブログを書いてきた記事は600を超える。
私は元々、続けることが苦手だったのでこんなに続けていること自体が奇跡としか言いようがない。
でも書くと言っても、書くネタや思いが無いと書くことはできない。

私は摂理に来てからの年数が長くなったので
それ自体でもネタはある意味豊富だし、今思うだけでも1万記事くらい書けそうな気がしてならないのだが
(・・・大きく書いてしまった、はい実践します(笑))
年数そのものだけじゃなくて、その中で神様が濃い日々を過ごさせてくださったから
書くことがあるんだろうなと思っている。
私だけじゃなく、これは全ての摂理人に当てはまることでないかと思う。
一見、特に平穏な摂理人生を歩んできたメンバーに見えても
その実、本人はもがきと苦しみもあったし、それ以上に喜びもあって素敵な経緯があることが多い。
全ての人に共通してるのは、何があっても今まで乗り越えてきたということ。
または乗り越えようとしているということ。
逃げたくなったことがあっただろうし、逃げたこともあったかもしれない。
私自身がそうだったから分かる。
それでも、歩いても、立ち止まっても、逃げても、それでもここまで走って来れたことに感謝する。

自分の力がたとえなくなったとしても、神様が人を通して引っ張ってくださったこともたくさんあった。
「私が力が無くなったら、神様が私の手を引っ張りかえしてください」
と祈っていたことが成就されている。

人は生きる上で、誰でも経緯がある。
経緯の無い人なんて誰一人としていない。
「この世に生を受けて産まれた」
ということだけでも大きな経緯ではないか。
永遠に感謝しても足りないくらいではないか。
「産まれる」ということがどれほど大変なことだろうか。
大変な奇跡だろうか。
あなたが産まれたことを誰一人喜んでいないと思うことがあっても
神様だけは必ず喜んでいるはずではないか。
それで良いではないだろうか。
今日も一日、どんな経緯があるだろうか。
神様に祈りながら、経緯がまた一つ出来ることを楽しみとし、今日の一日を始めよう。
出典:写真は全て月明洞の花々。花に会いたくて、載せましたネコ

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