映画サン・オブ・ゴッド見てきました

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仕事が休みだったので
「久々に映画でも見ようかな。でも何やってるのか分からないな。」
と思っていたら、摂理メンバーが
「土曜日にサン・オブ・ゴッド、見ようと思って」
と言っていたので、先取りして(笑)見てきちゃいました。
サン・オブ・ゴッドとは
イエス様の生涯をえがいた映画。

 

「全米公開時に特に話題となったのは、」
ふむふむ、なんだろう。
「イエス・キリストを演じるディオゴ・モルガドのイケメンぶりだ。」

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出典:サン・オブ・ゴッドHP

 

えーー!!!
内容じゃないんかい(笑)
っていう突っ込みをしつつ。

 

「『イケメンすぎる』という批判の声が高まるほど熱い視線を集めた。」

 

そこで批判が起きるとは。
理由はなんだったんでしょうね(^^;)

 

さて。映画館到着。
ポップコーンも買って。

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え?でかすぎ?遠近法?に騙されなかった皆さん。あたりです。はい、かなーーーり、でかいです。
買ったら思ったよりでかかった。余ったら持ち帰るかとおもってとりあえず購入。

 

平日の午前中だからか、なんと観客4人!
私は両側の座席を悠々と使いながら見ました。

 

以下、ネタバレしますから
見たくない方は、映画を見た後で読んでください。
でも聖書が原作だからネタバレも何もないかもですが(-ω-;)

 

この映画は、イエス様の生い立ちは殆ど書かれず(聖書にも殆ど書いてないけど)、イエス様の誕生が少し書かれた後に、そのままイエス様が御言葉を述べ伝えるシーンが始まります。

 

The Bible
c 2014 LightWorkers Media Inc. and Hearst Productions Inc. All Rights Reserved.

 

2004年に公開されたメル・ギブソン監督のパッション(意味:キリストの受難)と大きく違う点をいえば。パッションはイエス様が亡くなる前の12時間からスタート。イエス様がユダに裏切られるシーンから始まります。

 

このサン・オブ・ゴッドは、その裏切られるシーンもありますが、それより前。イエス様が御言葉を述べ伝えたり、「奇跡」を起こしたと言われるシーンが多く書いてあります。
聖書を学んだ人であれば多分全てのシーンについて意味が分かると思います。有名なシーンは、ほぼ全て抑えてあります。
聖書は文字の世界ですが、実写版だとよりリアルに感じるのがいいですね。

 

The Bible
出典:VisitSeoul

 

姦淫の罪をもった女性が広場で石打の刑にあうところを

「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」
ヨハネによる福音書8章7節

とイエス様がおっしゃった場面が・・・かっこ良すぎて我、号泣。

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出典:VisitSeoul

 

罪人と共にするときも周りがいくら批判したとしても
イエス様を試そうと、祭司長達が人を送って上げ足をとろうとしたときも、全く動じないイエス様。
全てがホントにかっこ良かった。その生き方そのものが、神様を証してた。

 

そして。。。
パッションと同様にイエス様が裏切られて、権力者達の手に渡されるシーンから十字架の刑にあうまでは・・・
正直、目をそらしたくなるところがたくさんありました。パッションより表現は抑えてあるものの、心にズシンときます。

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c 2014 LightWorkers Media Inc. and Hearst Productions Inc. All Rights Reserved.

 

もう一つ言えば。見ていて悔しかった。

 

イエス様を十字架にかけてはならないと、複数の人が権力者たちを止めようとする。
だけれども、その「ちょっとの声」を聞く耳をもたない権力者達。
ちょっとの悪魔の誘惑に耳を傾けてしまったユダ。

 

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出典:VisitSeoul

 

マタイによる福音書27章 19節
また、ピラトが裁判の席についていたとき、その妻が人を彼のもとにつかわして、
「あの義人には関係しないでください。
わたしはきょう夢で、あの人のためにさんざん苦しみましたから」と言わせた。

 

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出典:VisitSeoul

ヨハネによる福音書7章50-52節
彼らの中のひとりで、以前にイエスに会いにきたことのあるニコデモが、彼らに言った、
「わたしたちの律法によれば、まずその人の言い分を聞き、その人のしたことを知った上でなければ、さばくことをしないのではないか」。
彼らは答えて言った、「あなたもガリラヤ出なのか。よく調べてみなさい、ガリラヤからは預言者が出るものではないことが、わかるだろう」。

 

理不尽な裁判にかけられたイエス様。
裁判に有利なように、イエス様を支持する人達を裁判の場に立ち会わせなかった権力者達。

 

ローマ人への手紙14章4節
他人の僕をさばくあなたは、いったい、何者であるか。
彼が立つのも倒れるのも、その主人によるのである。
しかし、彼は立つようになる。
主は彼を立たせることができるからである。

イエス様は何故、民衆によって殺されねばならなかったのか。

 

イエス様は自分を十字架につけた人達でさえも

ルカによる福音書23章34節
そのとき、イエスは言われた、
「父よ、彼らをおゆるしください。
彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。
とおっしゃった。

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出典:VisitSeoul
主よ、神様。どれだけ心が痛かったことでしょう。身体も想像を絶する痛さですが、心のほうがもっと痛かったことでしょう。それでもあなたは全てをお許しになられたのですね。

 

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今回、このサン・オブ・ゴッドを見て、今週の御言葉を思うしかありませんでした。

 

「ちょっと」で運命が左右され、祝福と災いが左右されます。
摂理 鄭明析牧師による主日の御言葉から

ちょっとのねたみがありました。

マタイによる福音書27章18節
彼らがイエスを引きわたしたのは、ねたみのためであることが、ピラトにはよくわかっていたからである。

ちょっとの忠告がありました。

 

ちょっとのサタンの誘惑がありました。
でも「ちょっと」、少しも気に留めることはありませんでした。気になったとしても、そのまま通り過ぎました。
結果・・・災いが起きました。

 

そして。
この三年半という期間は長い歴史から見たら本当に本当に「ちょっと」の間ですが、この期間に伝えられた御言葉は2000年間、
大きな影響を及ぼし今もなお、世界数十億の人々がその言葉を信じています。

 

三年半という「ちょっと」の間に伝えられた御言葉は人類への大きな祝福となりました。

 

「ちょっと」の期間、天を人々を愛する心でひたすら御言葉を伝え、命をかけて人々を<救いの道、引き上げの道、命の道>に導いてくださった主に心から心から感謝します。

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