死ぬという言葉は、とても怖い言葉だけれども、でも現実です。
以前のことです。私は人から言われた言葉で深く傷ついたことがあります。人間、生きてたら誰でも一度くらい経験があるでしょう。
気にしないこともできますが、その時は本当に心にナイフが刺さったかのようでした。そうなると何もできなくなるんですね。普通に生活していても頭の中にそれが残っているから、いつもの心の状態ではない、まさに「死んでいる」ような状態でした。
ここで言う「死ぬ」とは心が死んでいるということ。更に状態が悪くなれば、例えば私が車を運転していてイライラして、運転を誤ってしまう・・・ということも考えられます。そうしたら体の命もありません。実際、そのような状態が今までもありました。
その時に、このままではいけないとおもって神様にそのことをお祈りの中で話し、そしてその中でも感謝できることを神様に話しました。そうしたら不思議と、心が軽くなりました。
この世で一番、悪口を言われたのは神様だと言います。
その次にキリストだそうです。
人間はどんなに長く生きても100年少しです。
神様はそれ以上の長い間、多くの人間から悪く言われました。
人生の中で受け難いことを受けたとしても、必ず神様が全て報いてくださいます。私も理不尽なことを言われても、最後には神様に感謝する人生を生きたいです。何故なら、神様とキリストは多くの理不尽なことを言われました。その心が僅かながら分かるようになるし、同じく言われたことがある人の心も僅かながらより分かるようになるからです。
<感謝>を忘れて、しなければ、「信仰」も死に、
「経済」も死に、「希望していたこと」が駄目になり、死ぬようになる。
摂理の鄭明析牧師 明け方の御言葉より
<祈り>を忘れたら死ぬ。
祈れば生きる。
真実に祈ったのに信仰が死んだ人は一人もいない。
摂理の鄭明析牧師 明け方の御言葉より
摂理に来れて感謝なのは、普通であれば感謝できないようなことでも感謝できるようになったことです。
主よ、感謝します