摂理に来て良かったことの一つに
「歌が思い切り歌えること」
があります。
とあることがきっかけで
私は中学の時から人前で歌うことが凄く困難になったのです
歌に自信を無くしたキッカケ
私の声は自分にとっては内緒話でも
周りから見たら普通に話している声と
変わりなく通ってしまう特徴があります。
幼いころからそうでした。
ちょっと歌っただけでも通ってしまう。
そんな声の持ち主だったので、なんとなく声には自信があったのです
しかし中学二年生になり、校内合唱コンクールの練習をクラスでしていたときのことです。
私の隣で歌っていた女の子が突然
「あなたの隣だと歌いづらい。音がずれてる。」
と話してきました
その子はかなりモノをはっきりいうタイプだったので
裏表がなく、思ったことをそのまま言ってきたまででした。
悪気が無いのはとてもよく分かります。
普段は普通に会話する友達でしたから。
ですが私は、人の目を気にするタイプだったので
それから思い切り歌を歌うことは出来なくなってしまいました。
反骨精神でもあれば良かったのかもしれませんが、そこまでのパワーが無かったようでした・・・。
また、そのころ入っていた剣道部の部活で
「声だけは通るよね」
とポロッと笑いながら同級生に言われたことがありました。
たった一度だけでしたが、それも声をあまり出さなくなった理由の一つでした。
声に対して自信を失っていきました。
中学三年生の時の合唱コンクールの時は必死に練習しました。
大地讃頌という歌、知ってますか
高音を合せるのが大変な歌です。
ピアノを保育園の時から習っており、少しピアノを弾くことが出来たので
ピアノで繰り返し繰り返し、頭にメロディを叩きこみました。
音がずれないように必死でした
最終的には、先生に頼まれて周りの友達に歌を教えるほどまでになりました。
そして学年でクラスは金賞をとりました
それでも歌に対して自信が回復したわけではありませんでした
歌が好きという心を奥底に秘めながらも。
ちょうどこの頃、天使にラブソングをという映画を見ました。
楽しそうに歌う姿を見ながら
私もあのように歌いたいなあって思っていました
高校の時は、うちの学校、音楽の授業が無かったんです。
音楽室もありませんでした。
今思えば、なんて不思議な学校だったのでしょう
ですので高校の時は歌う機会がありませんでした。
そうこうしているうちに、摂理に出会いました。
摂理の聖歌隊に出会う
摂理の聖歌隊の人達は、いつもとても楽しそうでした。
いつか聖歌隊に入れたらいいなと思っていました。
聖歌隊の募集はあったんですが
とてもじゃありませんが手を挙げられませんでした。
「歌、うまくないからな。でも歌いたいな。」
そう心に思っていた私。
誰にも言えませんでした。
そして、衝撃を受ける事件を私は迎えるのです。
果たしてなんだったでしょうか。
鄭明析牧師の歌う姿に衝撃を受けた
それは鄭明析牧師先生の歌う姿を見たことです。
私が先生に初めて会った時、歌う姿を見たのですが
衝撃を受けたのは、ただ神様だけを見ながら歌う姿です。
「こういう方に会ったのは初めてだ!」
どんなに歌えない歌があっても、それが人前だったとしても
人がいなかったとしても、ただ喜びを神様に向けて歌ってるのです。
ずっと歌の音がとれないことを気にしていた私にとっては
本当に本当に衝撃でした
「あのようになりたい歌えても歌えなくても、ただ神様だけを見て歌いたい」
そう思っていた時にちょうど聖歌隊の募集が再度かかりました。
月明洞での祈り 聖歌隊に入るかの相談
私は月明洞で夜、お祈りしました。
「神様、私は聖歌隊に入りたいです。
でも歌が下手だから自信がありません」
誰がこのお祈りを聞いていたでしょうか。
神様しかいませんでした。
御言葉で得た答え
翌朝、明け方の礼拝で鄭明析牧師先生は途中まである御言葉を伝えていたのですが
突然、讃美の話に切り替わりました。
「讃美は神様に栄光を帰すものだ」
それが私にとってお祈りの答えでした。
帰国後、聖歌隊に入り、私は歌うこととなりました。
歌に自信無かったけれども、夜中まで毎日、皆で練習しました
神様に栄光を帰すんだ!とただひたすら願って。
今も音がとれないときもありますが
それよりは神様が喜んでくださることを第一におけるようになりました。
歌が思い切り歌えること、それは私の人生を変えた
讃美は私の喜びであり、神様へ愛を捧げる貴い時間です。
讃美とは何か
またどうやって歌うものなのか
それを御言葉で、そして鄭明析牧師先生の姿を通して神様に教わったのです