教会の中で究極的に嫌い、苦手な人がいたときの対処法

  • URLをコピーしました!

「教会の人、みーんな大好き!」な人には向かない記事ですw

昨日、ある人が
「教会の人に不満をもったら、りおさんはどうしてるんですか?」
と聞いてきたので、書いておきます。

ここで書いた記事は
・相手ともう対話したくないくらいのレベル
・相手と一緒に何かをやっている
・相手と距離を置くことが出来ない
・信仰者である
という場合を想定して書きました。(実体験済みw)

目次

祈る

これ、本当に大事なんです。
祈りは対話だと言いました。

話さないとどうなるか?
我慢すればなんとかしのげますが、自分の中にどんどん鬱々としたものがたまっていきます。
自分の中で解決しよう、抑えようとするようになります。
そしていつか爆発します。

だからやっぱり。神様に話したほうがいいです。

 

そして祈る時にポイントがあります。
「全部正直に言うこと」です。

イザヤ書57章2節
すべて正直に歩む者は、その床に休むことができる。

正直に話してこそ、自分の心が平安になり、解決策が出てきます。

「神様の前だから綺麗な言葉遣いをしなくてはいけない」
なーんて考えていたら、答えを得られません。

神様は形式的な祈りは聞かない。
お祈りをしてもなされないのは形式的な祈り、うわべだけの表面的な祈りはなされない。
偽りと真実でないものは通じない世界だ。神様は偽りの神様、真実でない神様ではない存在者だから。

真実を持って祈るとき、全民族のことも聞いてくださるし、解決してくださるけれども。そうでない祈りは、偽善の祈りは個人の問題をもって祈っても解いてくださらない神様だ。
2007年1月26日明け方の御言葉より

私の場合は不満を全部ぶちまけ、相手の名前も出し、納得いかない点を全て聖三位に話します。

誰か心情の通じる人に打ち明けるのも悪いことではありません。
でも神様に祈る時、最も得るものが多いです。私もそうです。

人に自分の心情を明かし、胸の内を話したら、心がすっきりし、晴れる。また世の中に属したものを得るようにもなる。
神様と御子と聖霊様に自分の心情を明かし、胸の内を話したら、肉も心も霊魂もすっきりし、肉に属したものも得て、霊に属したものも得るようになる。
2010年11月8日月曜日の明け方の箴言

私は祈り無くしては生きていけません。
祈りは呼吸だとおっしゃいました。

聖三位の前で、人には言えない、言いづらい心情も全て打ち明ければ、時に応じて必ず解かれます。

正直に話したほうが解かれる速度は爆速ですね。
早ければ、その日のうちに全て解決します。

誰かに打ち明ける

祈ったうえで、自分の心情を打ち明ける
または祈りすらやりたくなければ、もう心情を先に人に打ち明けるのも一つの方法です。神様は人を通して働かれるとも言いますから。

このとき、誰に打ち明けるかはそれぞれだとおもいますが
私の場合は
・普段から仲が良い人
・何かに偏り過ぎない人(例えば、私or相手の肩をもつとかそういうんじゃない中立な人)
・言葉だけではなく、御言葉を実践してきた人
に話すことが多いです。

最後に

誰かへの不満をもたせるのは、サタンが介入するから、サタンが相手との仲を切り裂くから
これも真実です。できるなら相手と対話しましょう。それが解けるカギになることもあります。

が、究極的に相手に不満をもったとき、そんなこと言ってられないケースもありますね(笑)

以前、相手の為に祈りましょうという話をしたら、ある人は「そうだけどさあ。祈る気にすらならないんだよね」と言ってました(ΦωΦ)今ではその気持ち、わかります。

まずは神様に心情を全て正直に話すことが、やはり大きなポイントです。
「絶対嫌ー、ここが納得いかない。嫌すぎる。会いたくない、話したくありません!」みたいな。

神様に正直に話すと、自分の心情が落ち着く、そしてその後に解決策が見つかり、
いつか時が来たときに不満をもった相手の仲も結局は解消します。

この記事が誰かのお役に立てたなら本望です。

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次