私は元から「神様はいる」と思ってきた
信じるというより、自然な感じ
空気があるのと同じように、神様いるじゃんって。
なんでそのように思い始めたのか分からない。
日本摂理に来る人で最初から神様がいるって思ってる人は早々いない。
But・・・
私は、神様いるって思ってたけど、
私が思ってた神様とは違ったということが摂理に来てから分かった
↑私が思っていたイメージ
以前の私は神様に願うだけだった
「私は何か神様にしてあげたか?」
とは一ミリも考えたこともなかった
鄭明析牧師や摂理のメンバー達は、
「神様に何かしてさしあげたい、助けたい。」
という思いがある。
「礼拝は受ける時間でもあるけれども、礼拝で神様に栄光を帰そう!」
といつもそういう話がある。
↑御子の愛の家の献堂礼拝の様子
それもこれも、神様のことを知ったからだ
知らなければ、こうは思わなかったと思う。
旧約、新約、そして現代の成約、神様がどのように思っていらっしゃるのか。
人は相手の心がわかると、動きたくなる
わからないと、動きたくても動けない。
しかも正確に知ってこそ、正確に動きたくなる。思いが強くなる。
自分でハッキリ知れば、止められても動きたくなる
神様が今、何を思ってるのか毎日考える
それは神様が生きてるから。
誰だってありがとうって言われたら嬉しいように、神様もそうだ
言われないと、ちょっと寂しい
生きてる神様だから、問いかけに感謝に答えてくださる
だから朝、眠くても?!祈るようになる。
昼間でも神様に聞くし、話す。
神様は遠いようで近い存在だから、私は祈りを通して誰よりも話す
どんなに相手を大切に思っていても、24時間、一生の間、一緒にいることはできない。
でも神様はすぐ隣にいつもいらっしゃって助けてくださる。話を聞いてくださる
神様に対する接し方が変わった
これは摂理に来て大きく変化したことの一つだ