祈っても、<自分が求めるべきこと>にばかり集中していると、
「考え」がそちらに片寄って、御子がおっしゃっても感じられない。
2014年6月28日 鄭明析牧師 摂理の明け方の箴言より
本当にそうだと今週実感しました
お祈りしたとしても、神様の気持ちは違うかもしれない。
「もっといい方法があるよ」
と話してくださってるかもしれない
「自分の〇〇を直したいんです」
「でもそこは直さなくても大丈夫だよ。
70%だけ直すところだから残りの30%は良い部分だから、とっておいたらいいんじゃないかな?」
と話してくださってるかもしれない
いろんな可能性はあるんだけれども対話すると
神様に集中すると、すぐにではないかもしれないけれども心に感動が来る時がある
神様は遠いようで近くにいらっしゃる。
人間同士も対話してこそ、お互いの心が楽に通じるようになるし
互いの状況が分かってもっと親しくなれる
神様も生きていらっしゃるから、その言葉を心で聞こうとするときに
感じられるし悟れるようになる。
例え「いや、分からぬ」という状態だったとしても
つづけた時にいつか分かるようになってくる
赤ちゃんも生まれた時から喋れる赤ちゃんは全世界に一人もいないけれども
そのうち時が来れば喋れるようになる。
私は前は、鄭明析牧師の話される御言葉が正直、殆ど分からなくて
でも聞きつづけるうちに、お祈りするうちに、御言葉がスッと入ってくるようになった
分からなくても、相手の心に耳を傾けようとすること。
「どんなこと思っていらっしゃいますか」
と話しかけると、相手はより一層、自分のことを話したくなる。
神様が人間に
「どんなことを思ってるの」
と聞いてるし、人間も神様に
「どんなことを思っていらっしゃいますか」
と聞くと必ず答えてくださる神様。
続けて神様と対話していきたいです