性格は何故 直さなければならないのか

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以前、御言葉の講師として伝えたことがある御言葉を
再び伝えることもよくあることではあるが
最近伝えていると、こんな御言葉だったっけ?!
というくらい、摂理の御言葉が伝えながらも深く自分の心に入ってくる。
ある意味、軽く考えていた講義?!も正直、あったわけだが最近は全然それがない。
一つ一つの御言葉、自分も何度も聞いたし、何度も伝えたことがある御言葉。
だけれども、自分の成長の度合いによって、変化の度合いによって
え?!これが同じ御言葉?!と思えるくらい、まったくまったく変化する。
​伝えている本人が完璧だから伝えてるわけではなく
伝えているその時に、自分も神様に言われてるように思うことが殆ど。
 
「うわー、伝えながら刺さるわー。自分の心に」みたいな笑
 
御言葉を伝えるときは、やっぱりいろんな準備が必要なんだけれども
神様の御言葉を伝えるということがどれほど感謝なことか。

 
「自分の性格を直す」
一つとっても、どれだけ深い意味がそこにあるのだろうと今は深―く感じる。
 
「本当に自分の性格一つ直すことが、どれだけ貴重なことであり、永遠な運命すら左右してしまうことだろうか」
と。
 
結局、悪い性格、直すべき性格は幾つかあげてみると鎖のようにつながっている。
心配が誤解を生み、誤解が想像を生み、その想像が本当であるかのように思い込み、妬み、嫉妬、怒りが生まれ、争い、究極的には自分も相手も殺してしまうようなことになってしまう。
 
性格一つ直すことが、それこそ歴史を変える以上に大きいこと。
自分が完全に直せるなら、この地球上の問題すべてを解決できる。
だってそうでしょう?
問題自体は誰が起こしたの?人間でしょ。
神様は完全にやってくださってるから、あとは人間が行えばいいと摂理の御言葉でおっしゃった。
 

性格を直す貴重さ、性格を直す根本的な目的。
本当に深い。
 
どれを直すべきなのか、そして鎖のようにつながってるこの直すべき性格。
「すべて直しなさい」という意味が分かる。
結局、全部直さないとその一つの残った直すべき性格によって再び悪いものが波及してしまうからだ。
 
神様、いまこの時に本当に綺麗さっぱり、自分を完全に作り上げたいです。

 

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