名前の認知や肩書きよりも、私は実践を最優先にする

皆さんは人から名前を覚えてもらえなくて、寂しくなったことはありますか?

教会の中で、または自分が生きていくうえで、職責(役割、使命、肩書き)をもらえなくて悔しかったことはありますか?

私はあります!

でもいまは。

自分が行い、実践するほうを最優先にしています。

名前を知ってもらうよりも、何かの肩書きをもつことよりも、実践することが何より大事だと確信してるからです。

人々は職責と使命で大きい人だ、小さい人だと分けます。

しかし主がご覧になった時には、大きい人と小さい人を分ける基準は、神様と主の御言葉をどれだけ欠かさず詳しく行うかです。

この世で人々が考えているのとは全く異なります。

大きい使命をもらおうとばかりしないで、責任を大きく負う人にならなければなりません。大きい職責だけをもらったからといって、大きい人だとは言えません。

2008年10月22日水曜日の御言葉

本当にこの御言葉の通りです。自分の行いや実績の無いなかでの名前の認知や肩書きは、私にとってプレッシャーでしかありません(笑)皆さんもそうじゃないですか?

以前、自分がまだそこまで行えてない状態で、ある肩書きをもらったことがありました。周りから見たら「神様の祝福だね!さすがだね!」と思われる肩書きだったかもしれませんが、私は全然思ってませんでした(笑)

人前にその肩書きをもって立つたびに、胃が痛かった日々・・・。弱音をはくこともできなかった日々・・・。なぜ私はこの役割をやることを受諾してしまったのか・・・。今でも忘れません(笑)

その後、その胃の痛さと戦いつつ、実践していくことになるのですが。将来をみて神様が下さった肩書きだったのかもしれないと今は理解はしていますが、やはり行いは絶対に必要。

肩書きだけで人に会うより、実践をもって、やってきたものをもって人に会う方が自信をもって会えます。そのほうが互いにとってずっと有益。

これからも私は、実践を最優先にして生きていきたいです。

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