私が好きなことの一つ。不用品の一掃。
さほど着ていない洋服、いつの間にか使わなくなったもの。
それを一掃するとき、ものすごく嬉しい。
先日、このような御言葉があったから、自分の身の回りも、そして心の中も「一掃」しようと思い実行しました。
すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。
新約聖書 ローマ人への手紙6:4
葬るということは捨てることだ。
古いものを捨てて新しいものをもらうことが本当にうれしいことです。
<月明洞 自然聖殿を建築するとき>もそうでした。
神様の御心があって、この狭い月明洞の谷を新しくするとき、周りの土地をひとつひとつ買って、まずは「古いもの」をすべてなくしました。そうしてから<新しい世界>をつくっていきました。ほんとうに「うれしくて」夜を明かしながら集まってくる人たちと共に「喜び」で働きました。どれほど楽しくよかったのか、30年過ぎても「喜んで」仕事をしました。
<古いもの>をそのままにして生きたときは不平不満をもらし、希望もなく、見るのも嫌でした。歩くたび、見るたび気分が悪かったです。見るべきものもなく、きたないものばかりが谷にいっぱいでした。希望もありませんでした。仕事ばかり多く、苦労ばかり多かったです。
<古いもの>をなくして葬るようにしたら、希望に燃えました。だんだん<天国>のようにつくっていくから、本当にうれしかったです。
このように「古いものを捨てること」が<神様がくださった祝福>であり<幸せ>であることを悟ることを願います。
2021年11月28日
きたない生活と生をきたないゴミを捨てるように葬ってしまってこそ、清い心で全能者神様と聖霊様に仕え愛して、引き上げの生を生きるようになる。
2021年11月29日
私も自分の部屋の中を点検。そして一掃しました。
着ていない洋服を捨てたところ、クローゼットの中が整理されて空間が空きました。
使っていなかったキッチン用具をまとめて捨てたところ、これまた棚の中が使いやすくなりました。
何より、私が捨てることにより「幸せ」でした!
「このようにこうだ」ということで、心の中の不要なごみも全て葬りされるよう、続けて点検していきたいです。
自分が本当に幸せ。不要な考えが頭の中に浮かんでも、すぐに捨て去り葬りたい。
葬り去る、すなわち捨てるということはとっても幸せだということを悟らせてくださり、神様に感謝します!
追記:「葬る」という言葉だけ聞くと、ちょっと怖くないですか?でも葬るということは、すなわち捨てるということだと教えてくださいました。捨てるべきでないものまで捨てたらだめですが、捨てるべきものはどんどん捨てていきたいです。
関連リンク:月明洞とはー世界最大の自然聖殿