人間が犯す大きな過ちの中の一つは
自分が見る相手の姿が、
自分が考える相手の姿が、
自分が結論を下した相手の姿が
相手の全部だと考えることです。今は人を見るのではなくて
神様とあなたを見るのです。人にも愛を与える人は
神様に大きな愛をしてさしあげる人であり
人にうっかり傷を与える人は
神様にいつでも傷を与える人であることを知りなさい。摂理の御言葉より
私は過去、人のことをよく見る人でした。
いい意味でも悪い意味でも。
その性根が今でも残っているので、それは完全になくさなければなりません。
私が人のことを評価する時、なんでと思う時。何度もありました。しかし、それを誰か別の人に言ったところで、何も生み出すものはありませんでした。結果的に意見では無く陰口悪口になり、悪口は悪口しか生み出さないから、良いものは生まれないんですよね。
私は何か、人に文句があれば、まず神様に言います。言うように努力をしています。人には聞かせられないような悪い言葉を使うこともあります。
神様は黙ってまず聞いてくださいます。その後に、何かしらを通して答えがきます。自分の心に何か思い浮かんだり、または人を通して答えがきたり、自然現象を通して神様がメッセージを下さったりなどなど。
人に相談しないことが無いわけではありませんが、基本的には神様に言うというのを一番先にしています。
私も人間なので、思い込むことはたくさんあります。だからこそ、神様に聞くことは本当に大事だし、それが最良の手段だと確信しています。
私の思い込みによって人を傷つけたことも、そして自分自身も傷つけたことがたくさんありました。今でもゼロではないです。
でも摂理に出会う前は、神様に聞く、神様に話すということを知らなかったから以前よりは減ったと思います。
<その人の経緯>を知らず、自分の考えどおりに間違って考える時が多い。<その人の経緯>を聞いてみたら、自分の考えとは異なる。
摂理の鄭明析牧師 明け方の箴言より
まさにアーメンです。神様に聞き話しながら、人々を真に愛したキリストの生のように、素晴らしい生を私も生きていきたいです。