私の場合ー適応障害の原因、症状と治療

自分の弱さを認める強さ
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昨日、摂理ブロガーさんと電話で話す機会がありました。

お互い、いろいろ普段思っていることとかを話し。
そして、自分の弱いところを打ち明け合う時間もありました。
主がそのように導いてくれました。

 

自分の弱さを認める強さ9

目次

弱いところは出来るだけ見せたくない性格

私は過去、指導者、またはそれに付随する立場に何度もなりましたが、自分の弱いところは打ち明けない、話さない、見せないとずっと思っていました。出来る限り笑顔でいようというのが信条(そうじゃない時も多々ありましたが(-ω-;)ごめんね、みんな)。人前で泣くなんてもってのほか。

前に所属していた東京の摂理教会で、人前で泣いたのは最後のお別れの挨拶の時くらい。泣かないって思ってたのに、教会の皆が大好きすぎて涙がバーッと出てしまいました(ホントにみんなのことが大好きだったんですよー)。後輩達に「初めて泣いてるのを見た」と言われました。何年もその教会にいたのに。

まあ見せないだけのパワーも持っていたのだと思います。その点は今より過去の方がずっと強いかもしれません。

 

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適応障害の発症

二年前に適応障害を発症してからは、弱いところがよりたくさん出てきました。

適応障害とは→ある特定の状況や出来事が、その人にとってとてもつらく耐えがたく感じられ、そのために気分や行動面に症状が現れるものです。 たとえば憂うつな気分や不安感が強くなるため、涙もろくなったり、過剰に心配したり、神経が過敏になったりします。引用:厚生労働省 (皇室の雅子様がなられている病気です)

でも相変わらず、弱い自分を人前に出すのは極力避けたいと思っていました。特に後輩たちに。

 

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適応障害を人に打ち明けるように

そこから一段階、上がれたのは今年になってからです。自分の病気や、その他の弱いところ、大よそ人に話すようになりました。最初は色々考えました。弱い自分を盾にするのは嫌だとか、言い訳はしたくないとか。でも話した方がいいと思ったんです。そうじゃないと互いに誤解するから。特に普段から一緒に過ごしている人達には。

そのようにしているうちに、とある牧会者から「弱い部分を認めて話すって強くないと出来ないですよね」と言われ、ホントにそうだなとおもいました。相反するようで、これは当たっていると感じました。

認めるだけじゃなくて、それを更に人に話すというのはなかなか簡単にはいきません。少なくとも私はそうでした。どこが弱いのか正確に把握するのも簡単ではありませんでした。

 

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神様に不満も喜びも適応障害も全て話す

自分の気持ちを神様に祈りで全て話しました。一見不満のように思える言葉も、たくさんあったかもしれません。それでも神様は必ず全てを公平に見て理解し、私を御言葉で教えてくださる、そしてそれは間違いの無い道だという確信がありました。

また、鄭明析先生にもたくさん話しました。話す前になんと言われるか考えました。
「私は摂理に来てだいぶ経つから、叱咤激励になるかな?」
と思ったのです。でも、話してもらったその言葉のどこにも厳しい言葉はありませんでした。私の状況を理解してくださり、そして暖かい御言葉をくださいました。

 

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弱いところを認める強さ

今も私は、弱いか強いかと言われたら弱いところがたくさんあると思います。でも私は過去、もっていなかったものを手に入れました。私は一見弱くなったようで、自分を認める強さを主が与えてくださったんだと感じました。

自分の弱いところが真実に正確にどこか分からないと、強くすることも出来ないと日々切々と感じます。名医と言われる人達の凄いところは「どこが良いのか悪いのか」を正確に把握することではないでしょうか。たまにテレビや雑誌でありますよね、名医特集。そこに出てくるお医者さん達は、まず「患者の状態を正確に把握する」ことが出来る方々。

神様は間違いなく名医です。御言葉を通して、良いところ、改善すべきところをたくさん教えてくれました。無理矢理ではなく、愛で包みながら。毎回、刀で切られるように教えてもらったら、体無くなっちゃいます(笑)

「病院は基本的に、痛みを訴える人しか来ない」
埼玉医大の桑原先生が話した言葉です。この言葉は深い。痛みがあるということを知ってこそ、自分が直そうと思うんだなと切々と感じます。だから弱いところを弱いと分かることは本当に祝福なんだと思いました。

 

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適応障害になって分かったこと

自分がこの病気になった時に、適応障害や鬱が何なのかを知ることが出来ました。私以上に症状が重たい方もいらっしゃるとおもいます。以前はその気持ちや状況が分かりませんでしたが、なってみて
「ああ、心が辛くて体が動かないってこういうことなのか」
と初めて分かりました。そういう意味ではなって良かったと思うことさえもあるのです。

私が適応障害になる前からも、私の周囲には心の病を抱えた人達が複数いました。偏見は勿論全くありませんでしたが、理解していたかと言うと怪しいです(><)

 

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適応障害の治療―回復途中も神様と共に

私の適応障害はだいぶ回復してきましたが、まだ完全ではありません。でも神様が絶対に治る道に導いてくださってるから、神様との愛の経緯を最後まで進んでいきたいと思います☆神様は、どのようなことに私が見舞われたとしても本当に最初から最後まで共になさる方です。いつも周囲で支えてくださっている方々にも心から感謝します。

 

今日書いた記事が御心の人に届くことを心から祈ります。その人がたった一人だったとしても、私はとても嬉しいです。神様が心から愛する ただ一人の人ですから。

 

どんなことに見舞われても「主と一体」だ。 そうしてこそ「どんなこと」にも全て勝つ。 摂理の鄭明析牧師 明け方の御言葉より
どんなことに見舞われても「主と一体」だ。
そうしてこそ「どんなこと」にも全て勝つ。
摂理の鄭明析牧師 明け方の御言葉より

 

神様は「アルパとオメガ、初めから終わりまで」働きかける。 その中にすべての計画が秩序正しく入っている。 その計画どおりに働きかけていかれる。 しかし「最後」にすべてをくださる。 鄭明析牧師の明け方の御言葉より
神様は「アルパとオメガ、初めから終わりまで」働きかける。
その中にすべての計画が秩序正しく入っている。
その計画どおりに働きかけていかれる。
しかし「最後」にすべてをくださる。
摂理の鄭明析牧師 明け方の御言葉より

 

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