ベルギーと日本の重要な経緯

浦上天主堂
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日本を訪れた最初のベルギー人と言われているのは、イエズス会宣教師テオドロ・マンテルス。

今から400年以上前。命をかけて異国の地、日本を愛した人。

テオドロ・マンテルス宣教師は1588年、28歳の時に長崎に上陸し、4年近くに亘って平戸周辺で宣教活動に従事したようです。
かのフランシスコ・ザビエルが日本で福音の種を蒔いてから40年、マンテルス神父が長崎に上陸した時には既に豊臣秀吉によるキリシタン禁教令が発せられておりました。平戸の領主から弾圧を受け、1592年、マンテルス神父は失意のうちに日本を去り、翌年、マラッカで没しています。
参照:在ベルギー日本国大使館Embassy of Japan in Belgium

 

日本を二番目に訪れたベルギー人は、やはり同じくイエズス会、ランベール・トルーヴェ宣教師(後に神父)です。

ランベール・トルーヴェ宣教師が日本に入国したのは1612年、27歳の時で、徳川幕府による禁教令の中で宣教活動を行うものの2年で追放されます。しかし、彼の宣教の意志は固く、1617年に再び入国。数年間に亘って潜伏活動を行った後に長崎で逮捕され、1622年に火刑に処せられて殉教しています。トルーヴェ神父、37歳の時のことです。
参照:在ベルギー日本国大使館Embassy of Japan in Belgium

 

ベルギーのことを調べているうちに、この記事を見つけ、信仰者としては何とも言えない思いになりました。
今から400年以上も前、母国ベルギーをおいて日本という約950キロも離れた異国の地に来てくれた宣教師たち。現代でさえ飛行機で12時間。

 

しかも、彼らが上陸したときには既に禁教令が発せられていました。禁教令を破ることがどういうことか、彼らは分かっていたことでしょう。そのような中、ベルギーから最初に来たテオドロ・マンテルス宣教師は4年も宣教をしました。宣教師の長崎滞在は許されている中とのことでしたが、しかしいつ情勢が変わってもおかしくないですし、何より日本は異国の地であることに変わりはありません。

 

二番目に来たベルギー人、ランベール・トルーヴェ宣教師の時はもっと日本のキリシタン弾圧は激しさを増していました。1597年に長崎で26聖人の殉教があり、1613年には全国的にキリシタン迫害が始まっていました。文字通り、本当に命がけ。一度追放されたにも関わらず、再び入国するとはどこまで堅い信仰があったらこれが出来ることでしょうか。

 

二人とも祖国ベルギーの地に、最後は戻ることが出来ませんでした。異国の地で亡くなるということに対し、彼らは何を思っていたのでしょうか。

 

信仰的にも、とても深い関係があるベルギーの為、祈らずにはいられません。祈らなかったら神様に叱られてしまう気がします。
400年前、キリストを日本に伝える為に命をかけた人達がいたのに。
命をかけて愛してくれた人達がいたのに。

 

ベルギーで起きたテロが他人ごとに思えません。

 

しかも。2016年は,日本・ベルギー修好通商航海条約が締結されてから150年目にあたる節目の年なのです。

 

神様がベルギー人、テオドロ・マンテルス宣教師とランベール・トルーヴェ宣教師を日本に送ってくださったことを感謝します。彼らの熱烈な愛をみて、神様が選んで日本に送ってくださったことだと信じます。

 

世の中は容姿や知識など「さまざまな肉的なもの」を見て選ぶが、 神様は「愛」を核として見て選んでお使いになる。 鄭明析牧師の明け方の御言葉より

世の中は容姿や知識など「さまざまな肉的なもの」を見て選ぶが、
神様は「愛」を核として見て選んでお使いになる。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より

 

愛するから忠誠を尽くし、愛するから熱心にし、愛するから喜び、 愛するから讃美し、愛するから口でも物質でも感謝し、 愛するから時間を捧げ、愛するから告白し、愛するから御言葉を実践し、 愛するから栄光を帰し、愛するから体と心と霊を捧げるのだ。 鄭明析牧師の明け方の御言葉より

愛するから忠誠を尽くし、愛するから熱心にし、愛するから喜び、
愛するから讃美し、愛するから口でも物質でも感謝し、
愛するから時間を捧げ、愛するから告白し、愛するから御言葉を実践し、
愛するから栄光を帰し、愛するから体と心と霊を捧げるのだ。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より

 

参考:外務省 ベルギーという国

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