僕は高校?か大学生のころから、よく「NORIさんってものすごく落ち着いていますよね。」とか「本当に安定感があるね~」と言われることが多くなりました。
でも実際は全然そんなことはないんですよね。
外面には表れないだけで、よくパニックになるし、焦るし、緊急事態になったらどうしたらいいか全然わかんなくなるし。
ほかの人は顔とかに出るんですけど、僕の場合はパニックになると思考が停止するんです。スポーツでも教会の行事でも、普段の生活でも、何か予期せぬことが起こると、
「あれっ。やばいやばい。どうしよう・・・」って考えになっちゃって
周りから見たら少し離れたところで落ち着いて周りを見回しているなと思っていても
実際には上のような思考回路だけがぐるぐる回っていて茫然と立ち尽くしていることが多いんです(-_-;)
それに初めて会った人と対話する時も尋常じゃないくらいに緊張するし(見知らぬ人が自分と同じ空間にいるだけで落ち着かなくなる)
テストや大舞台でもめちゃくちゃ緊張して前日全く寝られない、なんてことも多いです。
そんな自分ですが、「落ち着きがあるね~」と言われるようになるまでになれたのは
やっぱりそういった「緊張する場面」を人よりもたくさん経験してきたからだと思います。
僕はなんでもないところでも変に緊張しちゃったり、パニックになったりするんで
毎回毎回「うわー!うわー!」となっている自分を必死にあやしていたら
最近いつの間にか緊張した場面に出くわしても
「おー。来た来た。」
思うようになってきました。そうやって緊張した自分に対処できるようになったということも一因ですが
あとは何より
「神様は自分の心のうちまで全部見てくださっているから大丈夫だ」
と思えるようになったことが一番デカいなーと。
周りの人は僕の外面しか見ていないから
すましている割に「こいつ全然できねぇじゃん」みたいな空気になったらどうしよう、と
自分の評価が下がったらどうしよう、と考えてきたので
大事な場面や重要な場面になると
特にガッチガチに緊張して震えが止まらなくてさらにできなくなってしまう、といった負のスパイラルにはまってしまっていたんですが
摂理の御言葉の中で「あなたのもがきはすべて私が(神様が)見ている」というのを聞いたとき
心がふっと軽くなるような感覚を持ちました。
「ああ、周りの人は僕の外面しか見えていないけれども神様は僕の心のうちまですべて見てくださっているから
変に詰まったり、失敗したとしても、絶対に否定しないんだ。僕のことを完全にわかってくれる存在が一人でもいるのなら(神様は一人と数えるのでしょうか?(笑))僕は大丈夫。周りに僕の姿を見てとやかく言っている様子があってもそこにいたるまでの苦労、葛藤、もがきは全部見てくださっているから、僕は一人じゃない。受け止めてくださるから大丈夫!」
と自分で勇気づけることができるようになりました。
それまでの自分は
「ここで失敗したら後がないぞ、しっかりやれ!」といった感じに
自分を自らがけっぷちに追い込ませてしまっていました。それで成功した部分はあったけれども
終わった後に「なんでこんなこと必死でやっていたんだろう?しょーもな!」と何とか崖っぷちから免れた自分をねぎらうこともせずさらに突き放すといったようなことをしてしまっていました。
けれど神様は絶対に受け止めてくださるという考えを持てるようになってからは
がけっぷちに追い込まれたとしても崖の下にはセーフティマットが敷いてあるから
たとえ失敗しても大けがはしない!と
極端に言えばこんな感じの考えを持てるようになったことで
緊張して全然まるっきりできなくなるといったことが少なくなりました。
やっぱり人がその人自身の個性や才能、能力を発揮するには
受け止めてくれる存在をはっきりわかることがとても大事なんだなと思いました。
いつの日か、どんな困難、艱難が来ても
すべて受け止めて
笑ってその問題に対処できるくらいに
でっかい器を備えたいなあと思います!(^^)!