白いA4用紙一枚があるとします。
これはただの紙ですが、
どういう経緯があるかで紙への感じ方が異なります。
その紙は、
web上でデータを送信して、コンビニのコピー機で印刷し、
文字が書かれているはずだった紙でした。
コピー機から出てきた紙は、白紙でした。
送信したデータ自体、書き込みに失敗し、何も書かれていない状態でした。
もう時間がありませんでした。
その紙を持って、どうすることもできませんでした。
あきらめて別の媒体で用意するしかありませんでした。
その日、教会の礼拝で、神様に向けて、
代表で前に立ってお祈りをする番でした。
そのときに読む紙でした。
白紙の紙一枚です。
たくさんあるから、そこまで大きな存在ではありません。
でも受け取り方が違うだけで、大きく心が揺さぶられました。
わたしは白紙の紙に絶望しました。
コピー機に20円払ったのに、白紙でした。
20円でうまい棒が2本買えました。
でも白紙の紙に消えました。
文字ひとつ印刷されていないから、
コピー機は大黒字です。
準備がギリギリならば、
準備できていないことと同じだと感じました。
ギリギリでいつも生きていたいわけではないけれど、わたしはよくギリギリの人生です。
大学院の入学届けもギリギリで出しました。締め切り前日まで忘れていたのです。
本当に院に入れないところでした。あぶなかった。
余裕を持って用意しておかなければならないと思いました。
すべきときにすべきことができなかったことを反省しました。