わたしは1日に、いろいろなスケジュールを詰め込むことが多いです。
ぎゅうぎゅうに詰め込んで、ふと気づくと、心がくったりしていることがあります。
今日は、病院に行きました。
つい数日前、自転車ですっ飛んで、うでが上がらなくなったから。
待合室で順番を待っていたのですが、
スマートフォンも家に忘れたし、待つしかなかったので、なんにもしませんでした。
そうしたら、心がものすごく楽になる感じがしました。
なんにもしない時間、いい!とおもいました。
そのあと、必要な用事を済ませに動いていましたが、
途中でカフェに寄って、また座ってなにもしないでみました。
見た目ではなんにもしていませんでしたが、
頭の中で神様と対話したり、これからなにをしようかと考えたり、
本当になんにも考えないでいたりしました。
それで、
今はうでもあまり動かないから写真も撮れないなあ、
明日も撮影する必要があったけれど、
代わりにあの人が写真を撮るんだなあと思い出しました。
それはとても楽な感じがしました。
神様が、休んでみなさいと言っているように感じました。
一歩さがって、そこから見てみなさいというように感じました。
なんだかわかりませんが、いいタイミングで涙もほろほろ出てきたので、
これがおっしゃりたいことかなあとおもいました。
いつも、目の前でめまぐるしく様々なことが流れていきます。
わたしはつい、ひとりで淡々と仕事をしてしまいがちです。
神様も忘れて、没頭して作業をして、
いつも急いで、祈る時間もなんだか焦っていました。
一旦、立ち止まる必要があるように感じました。
やることはいろいろと降ってくるし、
降ってこなくても、自分でいろいろと手を出したくなってしまいます。
わたしは本当にやりたいことが多いです。
見るべき方向を見ていなかったから転んだように、
見るべき神様を忘れて生きたら、人生の方向がくるってしまうなあとおもいました。
なんにもしないで、神様をしっかり見つめる時間が必要だと感じました。
わたしは自分の興味のあること以外、見えなくなります。
最近で言えば、就活で時間がとっぷり消えて行きました。
無心で仕事のように、ひとりで行い続ける沼にはまったわたしを、
神様が引っ張り出してくださったように感じました。
いろいろ見えてきたので、とりあえず、部屋の掃除をしようとおもいました。