必死で御言葉を聞く子の話

  • URLをコピーしました!

最近、新しく御言葉を聞き始めた人といっしょに、

御言葉を聞いたり学んだりしています。

 

わたしもその子も、御言葉を聞きながら、

あれも大事だ、これも大事だ、ああでも忘れてしまう、とあせってしまうタイプです。

この話に集中したいけれど、この話からある考えが浮かんだ!

けれどもう話が先へ進んでいる・・といろいろな思いでいっぱいです。

 

ようやく御言葉を聞き終わったころには、

すごく重要なことが思い浮かんだ気がしたけど、なんだったっけ・・

あの話がすごくよかったんだけど、なんだっけ・・

とうまく頭を整理するのがたいへんなのです。

 

その子を見ていると、なんだか昔のじぶんを見ているようで、

応援したい気持ちになってきます。

 

いっしょに話して、うまく整理ができるようにいろんな質問をしてみて、

その子の口から一言ずつ言葉がでてくるとき、

ああ、そんなに深い考えをしていたんだ。そんなおもしろいことを考えていたんだ。

ちゃんと拾ってあげなくちゃいけないな。と思いました。

 

小学校の頃、体育で大縄跳びをすることがありました。

倉庫の中で眠っていた大縄を取り出すとき、

めちゃめちゃにからまっていることもあります。

 

そのとき、友人といっしょにその縄をほどいていったように、

その子の考えをいっしょにほどいていくようだと感じました。

もっとたくさん繰り返して、もっとよく、ほどいてあげる人になりたいとおもいました。

 

わたしも昔、すぐに忘れてしまうとあせっていたとき、

御言葉を伝えてくれた牧師さんから教えてもらいました。

この話の中で、ひとつだけ持ち帰ればいいよ。と言ってくれました。

そうか、全部じゃなくていいのだ、ひとつだ。と思って、気が楽になりました。

 

そうだ、次に会ったときは、このこともちらっと教えてみよう。

もっと御言葉を楽しく聞けるように、お手伝いできたらいいな。

神様がその子を愛する思いが伝わってきて、もっとよくしてあげたい思いが生まれるようです。

特徴が似ているわたしを、神様がそばにおいてくださったように感じます。

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次