摂理の人たちは、演劇やライブなど、舞台を公演することがあります。
最近、大きなライブ公演を見ました。
わたしは今まで、いつもそういう場面では、必死にカメラマンとして撮影をしてきました。
しかし最近は、そういった舞台を、お客さんとして見る側になることが多くなりました。
今までは、練習のときから舞台を見てきましたが、
本番のときにはじめて舞台を見るとき、本当に感動しました。
しっかり舞台を見て、出演者たちがダンスや歌を通して伝えたいメッセージを、
しっかり受けるようになりました。
今まで自分が裏方で走り回る立場だったから、
裏で働いていた人たちも、すごく目にとまりました。
舞台を見ながら横目で、がんばれと応援していました。
1日中動いて、前に出た人も、後ろで支えた人も、すべての人がおつかれさまです。
あちこちで、あの人が使われ、この人が使われ、みんなの個性が一斉に光るのが舞台の場です。
ライブが終わってひとりひとりと出会うまで、わかりませんでしたが
わたしの知っている人たちもよく出ていました。
本当に素敵だ!と思った舞台を、友人たちが作っていたことにおどろき、
一人一人が個性を生かして、それぞれの位置で輝いていることが本当にうれしかったです。
それぞれがふさわしい場所で、成長していくのを見るのがうれしいです。
ところで、ポケットモンスターというゲームがあります。
このゲーム、すごく個性を大事にしたゲームだと思います。
このゲームには、主人公と戦うジムリーダーが何人かいます。
ジムリーダーひとりひとりのキャラも強いのですが、
それぞれ、いわタイプのポケモンや、みずタイプのポケモンなど、
持ち味のタイプのポケモンのレベルを極めています。
わたしたちは各位置で、各個性で、
ジムリーダーのように道を極めていく感じを受けました。
自分が育てるべき個性を見つけ、その道で努力し、大きく成長していくのです。
わたしは、本当に個性の御言葉がすきです。あるとき、こういう御言葉がありました。
人々も互いに比較して使ったら、個性で使うことができない。
だから、大きな損だ。箸とスプーンも、特徴が違うから、比較できない。
箸では汁物をすくって飲めないから、スプーンとは比較できない。
また、スプーンではおかずを取って食べることができないから、箸とは比較できない。
だから、比較しないで、「個性」で使いなさい。
<2013年12月27日金曜日の明け方の箴言>
ある人がある位置でできることがあるとき、
わたしは自分の位置でできることがある。とうれしくなった御言葉でした。
それぞれが個性を生かし、それぞれが必要とされていくなら、本当に理想的じゃないでしょうか。
ポケモンをやったことがある人はわかると思いますが、
持ち歩く手持ちの6匹のポケモンは、それぞれタイプがかぶらないように選びます。
(全てタイプを統一して、戦いに挑むマニアもいますが)
様々なタイプのポケモンを持っていかなくては、
相性の悪いポケモンと戦うとき、不利になってしまうのです。
相性の悪いポケモンが相手になったとき、
ここは任せた!と他のポケモンにバトンタッチします。
きっと御言葉を聞いているポケモンなら、比較して落ち込むこともないでしょう。
一人一人が必ず必要な存在なのです。
主人公が、このときはこのポケモンだ、と安心して任せるように、
わたしも個性を開拓して、神様が安心して任せてくださる大きな人に成長していきたいです。