よく、摂理の教会では、明け方にお祈りをしています。
明け方の祈り、はじめて聞く方は、異常なできごとのように感じるかもしれませんが、
プロテスタントなどの教会も、明け方に祈る教会もあるようです。
わたしもはじめ、「明日は朝3時にお祈りしに来てね」と、にこやかに牧師さんにいわれたときは
3時。夕方じゃなくて3時に。祈る。この方は何をおっしゃるのかとおもいましたが、
明け方の祈り、本当にいいです。やるかやらないかで1日の流れが変わります。
わたしは高校生の頃、朝3時に起きて勉強していましたから、明け方に起きるのも余裕だと考えていました。
最初のうちは。なので、最初の数ヶ月は、早めに行ってちゃんとお祈りしていたとおもいます。
ほんと、起きるのも楽勝でした。
しかし、それは長くは続きませんでした。
途中でガタガタに崩れ始め、わたしのお祈りタイムはいつしか煮崩れた絹ごし豆腐のようになりました。
上手くいき、失敗し、また上手くいくようになる、の繰り返しでした。
明け方のお祈りの時間は、1時、2時、3時、4時と、教会によって異なります。
わたしの教会は、だいたい4時頃からお祈りを捧げます。
最近の、明け方のお祈り内容をご紹介しましょうか。
「愛する神様・・ねむいです・・うーーーん、全くもってお祈りすることが思い浮かびません・・」
ほんともう全然だめだめなのです。ぜひ参考にしないでください。
神様にお祈りをするときは、その人が祈った内容をメモし、神様にお届けする天使さんが存在するようです。
わたしのお祈り、メモをする気も起きないお祈りです、むしろされても困ります。
はずかしいので届けないでほしい。
でも、個人でお祈りしたあと、教会に来ている学生たちと一緒に祈ることもしているのですが、
そこで声に出してガツガツ祈ると、おどろくほど祈れるし、目が覚めます。
完全にわたしの気合不足だと感じます。
みんなのお祈り時間にもコアタイムがあり、
それが過ぎると、教会内でみんなが他の活動を始めます。
御言葉を振り返ったり、雑談が始まったり。
わたしはそれくらいの時間にやっと目が覚めてくるのですが、
でも、うるさくてお祈りできないやとおもって、あきらめることもあります。
それでも、今日だけは祈らねば、と続けてむりくり祈るとき、
集中して切実に祈ってみると、外部の音が何も聞こえなくなります。
周囲の音は何も変わっていないのに、集中すれば祈れるものです。
わたしの精神次第で変わるのです。
そういったことを考えると、
明け方、はっきりとした精神で決まった時間に祈り続ける先生、ほんと尊敬です。
本当にいつも切実さが欠けないのだと感じます。
そうでないと、できないことです。少しでも気が緩めば、まじで寝ます。
先生より、わたしの方が睡眠時間が確実に長いけれど、わたしでさえ寝るのだから。
ねむくても疲れてもわたしたちが挑戦し続けるのは、必ず意味があると実感しているからやるのです。
明け方に祈ると、お祈りをいっぱい聞かれる感じがするし、もっと神様と通じる感じがします。
祈ったら絶対にいい!ということは、祈り続けるとわかるようになったことです。
理由をつけてやらないことは多いですが、結局、わたし次第でなんともなることも多いのです。
もう無理だと思ったら無理だし、死んでもやりたいと思ったらできるものです。
ここぞというとき、そのくらいの根性を出すとき、神様と一緒に生きるのに成功する感じがします。
主に会いに行くか、ベッドに飛び込むか、毎日葛藤の日々です。