先日、父が交通事故にあいました。
それで、何週間か、入院するようになりました。
その連絡を受けたとき、わたしは教会にいました。
どうしようと動揺していると、牧師さんが気にかけてくださって、
「メンバーにも親が病気になった人がいて、それをきっかけに家族とコミュニケーションをとったり、
神様を感じられるようなチャンスにした人がいたよ」
と話してくれました。その病気も完全に治ったそうです。
それを聞いて、現状に落胆するのではなく、
神様の考えに合わせてみようとおもいました。
また別の牧師さんが、御言葉を伝えてくださりながら、
「人が一番変われるのは、他のものをひとまず置いて、御言葉に専念したときだ」という話をしていました。
よく考えれば、父が入院したらwifiも通じていないし、起き上がれないし、
なんにもやることがないので、これは父が神様と向き合うチャンスなのではないかとおもいました。
この不幸は、せっかくだからいい機会にしようとおもいました。
車で病院まで向かう中で、神様に賛美し、感謝を捧げました。
普通に過ごすなら落胆していたところだったけれど、
人を通して、御言葉を通して、認識が変わるようにしてくださって感謝だと伝えました。
病院に着いて、無事父と会うことができました。
父は、骨が折れてしまっていたので、起き上がれはしませんでしたが、
頭は平気だったし、ちゃんとしゃべれていました。
買ってきたもの、家から持ってきたものなど整理しながら、父の話を聞き、いろいろと話をしました。
「今日は教会で御言葉を聞いていたけれど、病院に早く行ってあげてと牧師さんが言うので来たよ」と話すと、
「いい牧師さんだね」と父が言いました。
帰る頃になって、わたしは実は、水金日と教会に行って、お祈りをしたり御言葉を聞いて過ごしていると話しました。
普通に話すと変におもわれるかもしれないとおもって、
今までは「ねずみの実験があるから大学に行ってくる」と言って明け方外に出ていたけれど、
実は明け方のお祈りのために教会に行っていたとも話しました。
父は「へー、寝不足にならなければいいよ」と言っていました。
なにか面白い本を持ってきてと言われていたので、わたしの聖書をわたしました。
「えぇ・・おもしろいならいいけど・・」と苦笑いしていました。
旧約よりは、新約の方がわかりやすいから、読んだらいいと教えました。
前に教えた、ペテロと魚の話もでてくるので確認しておいてとも伝えました。
「これからなにもやることがない、暇だ」と話していたので、
最高に暇をつぶせる方法があるよ、と言うと「え、なになに?」と食いついてきたので、
「神様と対話することだよ!」と教えておきました。父はまた苦笑いしていました。
いつ状況がよくなるかわからないと言っていたので、
最後に、いっしょにお祈りしようと言いました。わたしは初めて父の前で神様に祈りました。
アーメンの意味も教えたら、父はひとまずアーメンと言っていました。
子供のころ、学校だか教会だかで、ごはんの前にお祈りをしたことがあるようで、それを思い出したと言っていました。
わたしは教会に通っていることを隠しながら生きるのが本当にいやでしたが、
今までやりたかったこと、言いたかったことが全部できました。
父がどう思ったかはさておき、わたしはそれで満足して帰りました。
ひとまずは21日程度入院するとのことだったので、それは神様的に意味のある数字なので、
21日間お祈りしようといいました。それで毎日続けて電話で一緒に祈っています。
今日、電話したら、「hanaのおかげで治りが早い感じがするよ」と言っていたので、
「わたしじゃなくて神様のおかげだからね」といっておきました。
実際、初日より痛みがひいているようで、よく寝られるようになったと言っていました。
神様がいなかったら、わたしは毎日電話なんかしなかっただろうなとおもいます。
この事故も、もっといやな感情でいっぱいだったろうし、もっと悲しい感情でいっぱいだったとおもいます。
でも、わたしは神様を知っているし、御言葉を聞いているから、
父のために祈ることができるし、考えを新しくして、明るくすることができるし、本当に感謝だとおもいました。
わたしは本当に大きな武器を持っているのだと感じ、御言葉を教えてくださる先生が本当に貴重だとおもいました。
人生生きていれば、神様を信じていようといなかろうと事故もあるし、死にもします。
でもそのとき、神様を信じていれば、神様の考え、神様の方法で乗り越えることができるから、すごくいいです。
わたしは摂理にいて本当に幸せだとおもいました。