花婿が花嫁を喜ぶようにあなたの神はあなたを喜ばれる。
イザヤ書62章5節 抜粋
聖書で、神様はわたしたちを花嫁の立場でご覧になります。
そして、立派な花嫁に成長できる御言葉を教えてくださいます。
わたしがはじめて御言葉を知り、神様にはじめてお会いしたとき、
神様はいきなりわたしのことを花嫁として見てくださっていたということです!
とってもうれしいことです。
花嫁。言い換えれば、妻。恋人。新婦。
一般的に考えるならば、この段階に至るまでにさまざまな過程を経ます。
友達か、会社の同僚か、クラスメイトか。
わたしたちが神様と恋人になる前、知り合ったばかり、例えば学校の同級生の立場だったなら、
そして、その次元で育ててくださっていたなら、同級生のための御言葉だったのだとおもいます。たとえば、
しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。
もし、だれかがあなたの上履きを隠そうとするなら、体操着をも向けてやりなさい。
もし、だれかが、あなたをしいて連れションに行かせようとするなら、その人と共に職員室にも行きなさい。
シャープペンシルの芯を求める者には与え、テスト前にノートを借りようとする者を断るな。
みたいな。立派な同級生になるのに必要な御言葉をもらうはずだったのです。
実践すれば、同級生のレベルで成長し、神様の同級生としてふさわしい姿になれるとおもいます。
でも、神様のことを考えると、わたしたちよりはるか上の立場だとおもいますから、
わたしたち、神様の部下の立場だったならどうでしょうか。
それだから、あなたがたに言っておく。
低カロリーか、糖質オフかと、自分の命のことで思いわずらい、
商談日のコーデが決まらないと自分のからだのことで思いわずらうな。
窓際の社員を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。
それだのに、あなたがたの社長は彼らを養っていて下さる。
あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、雇用期間をわずかでも延ばすことができようか。
高い次元の部下に育つことができる御言葉。
これがもはや神様と完全に他人で、
わたしたちもし、神様のご近所さんの立場だったら、どうなっていたでしょうか。
わたしは母としての強固な愛をあなたがたに注いで、すべての息子が服を脱ぎっぱなしにする不満から清め、
またあなたがたを、すべての家事を手伝わない夫への不満から清める。
わたしは豚肉の特売情報をあなたがたに与え、時短レシピをあなたがたの内に授け、
あなたがたの肉から脂肪を除いて、エステの割引券を与える。
ご近所さんの立場なら、このようにきっとご近所さんのための愛の御言葉になるでしょう。
たくましい隣人にはなれると思います。
でも、せっかく全知全能な神様が話されるのに、人生の話をご近所さんとして頂くなんて、残念です。
神様の愛をどの立場で受け取るか、すごく重要ですね。
自分が好きで愛して果物を食べる時、全身の神経と脳が感じるように、
三位の愛の対象になって三位を愛すれば、全身の神経と脳神経がその愛を感じる。
ちょうど果物を食べれば「口」で味を感じるように、「脳」でその愛を感じる。
2017年9月30日土曜日の明け方の箴言より抜粋
神様との関係がご近所さんより近いから、比較できないくらい、最高の御言葉です!
神様のとっても深くて深い愛を感じざるを得ません。
せっかく神様の花嫁に成長できる機会だから、感謝してもっと御言葉を学ぼうとおもいました。
わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。
彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである。
ヨハネの黙示録19章7-8節