アイスコーヒーを薄めてもらえないかと頼んだ話

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ある日、お店でコーヒーを注文しました。
アイスコーヒーだったのですが、いつも飲んでいる味よりも、濃かったのです。

なので、少し薄めてくれませんか、と店員さんに頼みに行きました。
すると、ぬるい水を渡されて、これで薄くしてくださいと言われました。

このとき、コップには、まだアイスコーヒーがたくさん入っていて、
水を入れる分だけのスペースが、あまりありませんでした。

また、水はぬるかったので、多く入れると、
氷が溶けてしまい、おいしくなくなってしまいます。

今、わたしは渡してもらった水を使わず、
濃いアイスコーヒーを飲んでいます。

このことを見ながら、
実利的に行動しなくてはいけないなと思いました。

表面的に、やるべきことはやったとしても、
実際の問題解決につながらなければ、意味がありません。

夢や希望、やりたいことも、
多く語ったとしても、やらなければ意味がありません。

そして、それを実際に行動に移したとしても、
結果として残るように、変化が起きるように、
または次につながるようにしなければいけません。

次につながるアプローチという話でいうと、
わたしはディズニーの社員の話が好きです。

ディズニースタッフといえども、
人を相手にするわけですから、業務中に不満の心が出ることがあります。
しかし、そういう不満の心をお客さんの前で出すわけにはいきません。

彼らはどうするのかというと、

社員同士、悪い感情を出せない雰囲気を作って、気持ちを閉じ込めるのではなく、
必ずバックヤードでその社員の心情を聞いてあげるそうです。
また、現場ではそのように、あとで話そう。と声をかけてあげるそうです。

人なら誰でも、マイナスの感情が出てくるものです。

それを仲間同士で放っておくのではなく、
解決するところまでフォローしていくという点がいいなと感じました。

社員は不満点を解決しながら、持続的に行動していけますから、実利的だなと思いました。

何かを成していくとき、
いい面ばかり見ないで、見たくない部分、解決するのに時間がかかる部分。
そういうところまで、最後まで見て行わないといけません。

わたしはだれかに、問題を問題と指摘されたときは、
もしそれができる状況ならば、解決策まで一緒に考えるところまで、
そして、実際に解決したところまでを見届けてほしいと感じます。

言うだけ言って終わるというのは、自分自身でもやってしまいがちですが、
じゃあどうしたらいいのだろう、とわからずに終わってしまいます。
問題を発見したときは、一緒に考えてくれたらうれしいなと思います。

これは御言葉も同じです。
御言葉を相手に教えるとき、相手が御言葉通りにするためには、
その途中までを一緒に考えてあげることが大切です。

わたしはしばらく、このことがわかっていませんでした。

教えられた側は、単に教えてもらっても、
御言葉は正しいけれども、
では、どのようにしたらいいのだろう?と立ち止まってしまいます。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」
という、山本五十六の言葉がありますが、

自分がやって、説明もして、相手がやるところを見て、やったら褒めてあげて。
ここまでがわたしの責任分担だと思いました。

そこまで共にしてあげるとき、人は自分でも進めるようになります。
摂理の牧師さんたち、いつもそのようにして教えてくれます。
なによりも摂理を導く、チョンミョンソク先生が、自ら先に行う人だから。

わたしは今日一日、
自分のこれからの行動について考えていました。

さっきからぬるくてまずい、このアイスコーヒーは、
飲むほどに、行動したいと思うようにさせます。

やったつもりでいることはやめて、意味のある行動を考えていこうと思います。

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