「適当」が一番困るのです!

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こんにちは。NORIです。

さて、発達障害でいろいろ困ったことは確かにあるのですが、自分の場合一番困る「指示」は・・・

「適当にやっといて~」です。

 

何でなのか?というと、「適当にやる」の塩梅が自分にとってはちんぷんかんぷんだからです。

相手方はこちらに仕事を楽にしてもらいたくて「適当にやっておいて」と指示してくれるのかもしれませんが、自分にとっては全然楽にはなれなくて、むしろ神経がピーン!ってなるんです・・・。

自分は仕事を任せられた時、「目に見える成果」、「目標ライン」をキチンと提示してくれないと混乱します。

(例:掃除をお願いされた時)

相手「NORIさん、ここの部屋、掃除しといて。あんま根詰めなくていいから、適当にやっといてね~」

自分「え、適当ってどういうこと?」

自分「本当に適当に(いい加減に)しちゃっていいのかなあ・・・」

自分「でも本当に適当にしたら怒られるだろうなあ・・・(←過去にそういう経験をいっぱいしてきてるから、これは学習してる)」

自分「つまりはどこまでやったらええの?どこまでやったら終わりって言えるの?」

自分「なんか考えるのめんどくさくなってきた~でも適当にしたら怒られるしな~」

↓(無限ループ。しかし、この間も一応手は動かしてる・・・)

みたいな思考回路がぐるぐる回って、体だけでなく、頭も非常に疲れるのです・・・。どれくらいやればいいのかを人に細かく聞いたとしても、相手はそこまで細かく「どこまできれいにするか?」の目標ラインを決めずに自分にまかせていることが結構あるので

相手にきいたとしても「ええ?だから・・・適当は適当だよ・・・」みたいにちゃんと答えてくれず。(笑)結局答えがわからずじまいにやって行く羽目になるので、自分からしたらなんか悶々と掃除をする羽目になってしまうことが結構多いのです。

 

掃除を例に挙げましたけれども、これはほかの仕事でも同じような場面がちょくちょく出てきます。プリントを仕上げるとか、テストで何点以上といった目標達成が目に見える仕事とか、○○をだれだれさんにもっていって、とかそういうちゃんと5w1hがキチンと明記されている依頼であれば全然問題はないのです。しかし、「好き勝手にやっていいよ」「自由にやっていいよ」「適当にやっといて~」は自分で図工とかで「モノを作る」とか「イメージを形にする」ことは別ですがそんな風に依頼されたら結構困ってしまうんですよね。

時には相手の「適当」発言の真意がわからなくて小一時間悩んだりとかもざらにあります。

 

これがなぜこのようになってしまうのかというと、自分の場合は「目に見えない数量をイメージするのが苦手である」が思いつきます。

例えば、前述の「適当にやる」というのは

・いい加減にやる

がありますが、その「加減」がどれくらいなのかがわからないのです。人によって「加減」の”幅”がいろいろ異っていて、普通は勝手に調節してやっているらしいですが、自分の場合はわからないので、いろいろ困ってしまうんですね。「こうやって!」と”具体的に”示すようにしてくれればこちらは全然できるんで大丈夫です。

 

だから人に頼まれて何か仕事をするというのは結構大変だったりします。頼まれて仕事をしている時は気が張っているからそんなに疲れているなとも感じないんですけれども、ひと段落して落ち着くとどっと疲れが押し寄せてきて、集中が切れてしまうことが多くあります。また、特に人とたくさん話をしたわけでもないのになんか変に疲れる・・・みたいなことも結構あるので、一人でいるときは精根尽き果てたような顔でボーっとしていることが多いので周りに変に心配されたりすることもあります(笑)

 

この点から考えると、摂理の御言葉はとてもストレスなく接することができます。摂理の御言葉は「~しましょう」「~してはいけません」というように、「良い、悪い」がハッキリ裂かれているので、とても楽ですね(笑)

なので、もし「なかなか指示を理解してくれないなあ」という人がいるとしたら、”幅”を持たせるような指示ではなく、なるべく”具体的に”指示してみるといいかもしれませんよ。

 

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