こんばんは。NORIです。
前回は「軸がしっかりしているってどういうこと?」からいろいろ掘り下げて、軸をしっかりさせるには「固さ」が必要だけれでも、それだけでは不十分だ、というところまで話しました。
では、他に必要な要素は一体何なのか?というのを考えた時に今日の摂理礼拝で答えのヒントを神様からいただきました。
〈自分の矛盾と短所〉、〈故障したように正常でない考えと行ない〉は、自分はよくわかりません。
しかし相手は横で見るからよくわかります。
だから人々は〈自分がよく見てよく分かる人〉を「メンター」にします。
しかしある時は〈人間〉だから「錯誤」を犯す時があります。
だからいつも〈御言葉の水〉で自分を洗い流して、いつも「自分を直そうという精神」を失わずに、直さなければなりません。
自分の矛盾と短所というのは、自分ではよくわからない時が多いです。そうしていて、勝手に自分で苦しめて、損をこうむっている時があります。そのせいで、勝手に自分で落ち込んだりします。そうした時に、「自分の考えで間違っているところがある」と認識できるもの、また「自分の間違った考えを正しいところへ直してくれるもの」が必要になってくるんだ、ということです。
うまくいかなくてへこんだり、ふがいないと思って自暴自棄になったり、そんな自分に怒って、焦って精神状態が揺れ動いたとしても、周りの状況が大きく変わったとしても、最終的にはそこから正常な範囲に戻ろうとする「直す力」がとても大事なのだな、と御言葉を読み返してみて改めて感じました。
自分の信念という「固さ」と、正常な範囲に戻ってくる「直す力」、この二つの要素が「軸をしっかりさせる」のに、必要な要素なんだな、と考え付くようになりました。
特にこの「直す力」がとても大事だと今週の御言葉で神様はおっしゃいました。引用した御言葉でもあるように、人間は自分の考えが間違っていないか知りたくて有名な人の発言集だったりとかをメンターにして安定を保とうとします。けれども、メンターとされるのも不完全な人間だから、時と場合によっては安定させるのではなくて、混乱してしまうことがあります。立ち戻るところは絶対に安定しているものでなければなりません。そうした人間の精神を絶対的に正しい方向に直してくれる、そうした存在が”神様”であり”御言葉”であると僕は考えます。
時に自分の信念も、過去の体験から歪んだ間違った信念を持ってしまうこともあります。そうならないように、自分の信念も常に御言葉をもとに照らし合わせて、確認していけばよいのではないかと思います。
〈主〉を頭にして、〈自分〉は体になって、〈主の考え〉で生きなければなりません。
こうして自分の考え、矛盾を正しく直してくださる神様に感謝をささげたいです。自分の信念も神様が考える理想的な考えになり、自分の短所、矛盾した考えも御言葉で少しずつでも直していって、もっとよりよく生きて、神様に近づいていきたいなあと思います。