僕は御言葉をすぐには受け入れることはできませんでした。
いや、正確には御言葉を受け入れたふりをしていました。
教会で御言葉を聞いても、「アーメン」というけれども、実際には神様の御言葉を横に置いておいて、自分の考えの方を優先して生きていました。
御言葉を心の底から信じ、従うことができなかったのです。自分の考えがなくなることに恐怖を持っていたのです。
自分の問題のある性格を御言葉で直すことをためらっていました。
そんな風に信仰生活を送っていて、ある時事件が起こりました。
あるささいなことがきっかけで、当時の教会の指導者にLINEを使って怒りをぶちまけてしまいまいました。
その人は僕のことを思っていろいろ指導してくださっていたのですが、僕は指摘されるのが嫌で、気に食わなくてストレスを無意識のうちにため込んでしまっていたのです。
そのストレスがささいな行き違いでせきを切ったように出てしまいました。
スマホの画面を3スクロールくらいしても読み切れないくらいの膨大な悪口を書いてしまいました。
書いている時はもうむしゃくしゃして、何が何でも自分の言い分を聞かせてやろう、と書いていたのですが、ラインの送信ボタンを押した瞬間、とてつもない後悔に襲われました。
「とんでもないことをしてしまった」と。
そして同時に僕が大学の部活をやめた時のことを思い出しました。
僕は部活を人間関係がうまくいかなくてやめました。
最初はうまくいっていました。しかし、学年が上がって部の仕事をするようになってから、上級生との些細なことの行き違いがよく起こるようになりました。
お互いが考えていることを対話で確認し、誤解を解けばよかったのに、
「自分はこの事で困っている」と素直に話せばよかったのに
自分のプライドが邪魔して、
「どうせ誰も自分のことをわかってくれないだろう」というなんとも高慢な考えのせいで
ストレスを無意識のうちにため込んでしまっていました。
そして上級生とメールである仕事のことでやり取りしていた時、ある些細な行き違いがきっかけでその不満が大爆発し
そのメールで、相手の悪口をめちゃくちゃに書いて、その勢いで部活をやめました。
ラインでメッセージを送ったあとにその一連の出来事を思い出したとき、悟ったんです。
「ああ、自分はあの時と何も変わってない」
「神様の御言葉をアーメンって言っていたけど、全然心の底からアーメンって言えてなかったんだ」
「神様の御言葉を受け入れていなかった」と。
自分の今までやってきたことが全否定されたような気がして、
もう深い谷底に叩き落されたような気分になりました。
そしてしばらくメッセージを送った後、茫然となりました。
ショックのあまり何がなんだかよくわからなくて、ぼーっとなっていたんですが
祈らなきゃいけない、という気持ちがわいてきて、正座をして祈ろうとしたんですが、なかなか言葉が出てきませんでした。
かろうじて出てきたことばが
「神様、自分は限界です。」
という言葉でした。
「限界です。僕の考えではこれ以上よく生きることができません。
神様、助けて。」
そのフレーズしか出てきませんでした。
そしてしばらく祈った後、ある一つの気持ちがわいてきました。
「もう、いいや」と。
「自分の考えでは今以上によく人生を生きられない。今回みたいに、また同じ過ちを繰り返すことになる。どうせ自分では限界があるなら、神様の考えに屈服しよう。神様にゆだねてみよう」と。
それから、信仰生活をゼロから見直すことにしました。
神様と自分の関係性を、ゼロから振り返るようにしました。
そうするようにしてから、少しずつではありますが、自分自身が変わっていきました。
ラインを送った指導者の方とも、お互いの誤解を解いて、無事に和解することができました。
今も、少し良くなってはまたもとの状態に戻ったり、ということを繰り返す日々ですが、着実によくなってきていることを感じています。
ここまで導いてくださった神様に感謝します。
これからも、少しずつではありますが、一歩ずつ、進んでいきたいと思っています。
今、なかなか変化できなくて悩んでいる人も多いかと思います。
御言葉を聞いてもなかなか変わらない、変われないともがいている人も多いかと思います。
でも、だからといって自分をあきらめないでください。
亀のように遅い歩みだとしても、一歩一歩、前に進んでいきましょう。
そうすれば神様はそれを見て、様々なかたちで助けてくださいます。