私が信仰生活を見直していた時、真っ先に変えたことが祈りでした。
それまでの私の祈りは、「神様によく見られたい」という思いが先立っていました。
なので、その日の中で自分が失敗したこと、御言葉通りにできなかったこと、悩んでいること、苦しんでいること、御言葉の中で疑問に感じていること・・・などをこと細かに告げることをしませんでした。
「神様に嫌われたくない」
「御言葉に疑問を感じている自分は、いけない子だ」
「失敗したことを告白するのは、嫌だ、恥ずかしい」
そんな思いから、私は祈りを、表現は祈りが良くできる人っぽくしていたけれども、本音を全く言わないようにしていました。
ですが、本当に変わりたいと願った時、この現状を変えなければ、ずっとこのまま、神様と、ただの知り合いの関係、現実にもあるような、当たり障りのないやり取りをして、ほどほどの距離感を保っている関係、一緒にいるんだけど、精神的な距離は遠い関係になってしまうと思いました。
せっかく、神様が私を呼んでくださったのに、
「一緒にやろう」
と手を差し伸べてきたのに
私のつまらないプライド、自尊心のせいで
死ぬまで一人になってしまう
そう思うと怖くなってきて、焦りました。情けなくなりました。
「いけない。このままでは」
そう思って、私は祈りを変えました。
ある時は御言葉によって感じる不自由さ、現実とのギャップを延々と告白し、
ある時は過去に体験した嫌な出来事を、吐きそうになりながら告白し、
対人関係で問題があった日には、相手のことを「気に食わない」と告げ
とにかく、その日にあった出来事、それについて感じたことを、飾り立てず、恰好をつけずに
ありのままに告白するようになりました。
ただ、どんなめちゃくちゃな祈りをしたとしても、最後には癒しをねがう祈りをしていました。
「神様、どうか私を愛で導いてください。私の心を癒してください。癒してください。癒せるのはあなただけです。この瑕を、どうか、どうか」
後編:生まれ変わった