前編:告白
神様へ本音の祈りをするようになってから一か月が過ぎようとしていました。
私は当時、発達障害のひとつであるASDがわかったということもあって、心がぐちゃぐちゃな状態でした。
ただ、神様へ本音をぶつける祈りの時間、そして御言葉の時間はその苦痛が多少和らぐので、
学校でカウンセリングを受けながら、祈り、御言葉を聞く、そのような生活をしていました。
当時カウンセリングで何を話したのかというと、過去から現在までどのように育ってきたのか、嫌だったことは何か、好きなことは何か、なんでそうなのか、そうしたことを延々と話すというものでした。
私は祈りでそうしたことを告白していたが、いざ人の前で話すとなると、祈りの時と同じように胸が苦しくなって、自分で感情の処理ができずに、ぽろぽろ涙を流しながら話していました。カウンセリングの先生は、ただじっと、聞いていてくれました。
話は冒頭に戻りますが、祈りを変えてから一か月が過ぎようとしたとき、夢を見ました。
私は救急車に乗っていて、急患ベッドに自分の奥さん?のような人が苦しそうに寝ていました。
夢の中の自分は、奥さんらしき人を励ましていたと思います。
そして病院に到着し、奥さんが手術室に入って数時間後、赤ん坊の泣き声が聞こえてきました。
どうやら、夢の中で自分の奥さんは妊娠をしていて、産気づいたので救急車に運ばれていたらしいです。
赤ん坊の声が聞こえてきたとき、私は今まで感じたことのない喜び、嬉しさ、そして幸福感に満ち溢れていました。
そのあたりで目が覚めました。
目が覚めた後、いつもは重苦しい気持ちだったのが、なんだか軽くなっているような気がしました。
ちょうどその日、カウンセリングの日だったので、カウンセリングの先生にその日あった夢の内容を話しました。
そしたら、先生が答えてくださいました。
「それは、あなた自身が、生まれ変わったということじゃないでしょうか?」
きけば、夢はその人の精神状態が反映されるというのが最近研究でわかってきたらしく、何かトラウマを克服したり、自分の殻を破ったときに、そういった夢を見ることがあるそうです。
でも、先生は驚いていらっしゃいました。
なぜなら、そうした夢は、心の問題を直そうと、長い期間、カウンセリングなどの療法を受けることで、見ることがある夢だからでした。
私は、一か月という、短期間でその夢を見たので、普通はありえない、と何度も驚いていらっしゃいました。
私は、その話を聞きながら、
神様が私を癒してくださったのだ、
私を霊的に生まれ変わらせてくださったのだ、
ということを悟りました。
そこから、徐々に私の心の状態が不思議と安定してくるようになりました。
それまでは波が激しく、過去のことがフラッシュバックしたりして、胸の動悸が激しくなったりしていたのですが、
徐々にフラッシュバックの頻度も減っていきました。
そしてさらに一か月が過ぎたころ、教会の指導者の方に
「なんか、変わったね。」
と言われるようになりました。
「一本、軸が通っているように見えるよ。」と。
それは、私の生の中に御言葉が中心となり、神様が中心におけるように、生まれ変わったということを、神様が私に教えてくださったのではないだろうかと、今になって思います。
信仰が生活にリンクし、
神様が私の生に入った
のだと思います。
この出来事を経験してから、祈りで自分の精神の状態を安定化するのが習慣になっていきました。
何かうれしいことがあったら神様に告げる。
嫌なことがあったら神様に告げる。。。
この神様との一対一の対話は、私が死ぬまで、心穏やかに暮らすために、おそらく一生続くことでしょう。
今、私は摂理の兄弟たちと離れて信仰生活を送っています。
ですが、あまり寂しいと感じたことは、不思議とありません。
摂理に来る前のような、どうしようもない心のむなしさを感じる時間も少なくっています。
それは、私の近くには神様がいらっしゃる、ということをこの一件で強く実感するようになったからでしょう。
私はまだ20代、これからも様々な困難があるでしょう。
でも、私は一人ではありません。
神様が、いつも共にしてくださるからです。
これからも、神様と共に、摂理の道を歩んでいきたいです。