馬とのコミュニケーション~騎乗編~

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人同士、コミュニケーションをとることがすごく大事ですが、馬に乗る時もコミュニケーションが大事なんです。

コミュニケーション、つまりは’疎通’です。

’疎通’ーわかりやすく言うなら「相手とのやりとり」です。

この「やりとり」という言葉、実はとっても深いなあ、と最近思いまして。

相手とのやりとりを成立させるためには

A⇔B  

が必要です。つまり、AからBへも意思が伝わってその内容を了解し、BからAへも意思が伝わり、その内容を諒解します。

でも、例えば

A⇒B あるいは B⇒A

になるとこれはやりとりではなく、「押し付け」になったり、一方から一方へ意思が伝わるだけになってしまいます。

押し付けになったりすると、「なんでこっちの言い分は聞いてくれないんだ!」とけんかになってしまいますよね。

で、私の場合、ASDの特性だからなのかわからないですが、

片側通行のやり取りになってしまうことがとても多いのです。

人の意見を聞こう、聞こうとしすぎてこっちの意見を何も言うことができなくなり、そのせいでイライラしたり、精神的に落ち込んだり、不安定な状態になったり

逆に自分の意見を聞いてもらおう、と思うあまり「絶対に自分の言うことを聞かせてやる!」みたいな考えに変わってしまって、相手を丸め込もうと躍起になったり、言い回しを工夫して相手に上手に伝えることができずに、相手との雰囲気が悪くなってしまったりしていました。

で、これが私の馬との関係性でもそのまま当てはまるのです。

私が馬が何を考えているのか、馬が気持ちよく動いてもらいたい、そう思うあまり

ハミ受けを中途半端に要求してしまって、馬の頭をきちんと下げさせられなかったり、下げられたとしても中途半端になってしまいます。

逆に、「絶対にハミを受けさせてやろう!」と意気込むあまり、冷静さを失って

手綱を無茶苦茶に引っ張って無理矢理下げさえようとしたり

思ったような反応が得られないことにイライラして力で無理やり抑え込もうとしてしまいます。

相手の思いをどう受け止めるか。

そうしたうえで、自分の思いをどう伝えるか。

そこのバランスの調整がどうにも苦手なのです。

特に最近、馬に乗っていてもそういう失敗が連続で続いていて

乗っている時は何も考える余裕がなくて(本当はそうなっちゃうのはだめなんですけど…)

乗り終わった後に「ああ、またやっちゃった…」「こうすればよかった…」と落胆してしまっていました。

 

ですが、今週の摂理の主日礼拝で、「落胆」について鄭明析先生が

「落胆するようなことがあっても、絶対にやっていることを途中でやめるな」

「神様が時に合わせてくださるから、落胆せずに続けて行いなさい」

とおっしゃっていました。

これを聞いて、今自分がやっていることがうまくいかなくて、投げ出しそうになっていましたが、

「もうちょっと頑張ってみよう」と思うようになりました。

人同士も、馬と人との疎通も難しいですが、これも自分がより良い騎手、人間になるための過程だと思って頑張っていこうと思います。

 

 

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