最近、少し前のJ-POPを聞く機会がありました。
それで、わたしは昔、ザ・ブルーハーツがすきだったなあと思い出しました。
曲や歌詞がはっきりしていてすきだったからです。
でも、今正直に考えてみると、ブルーハーツがすきな自分がすきだったのかもしれません。
そういう気分、わかる人もいるのではないでしょうか。
ちょっと似てるなと感じたのが、パンケーキより、パンケーキが好きなワタシが好きという記事です。
別にパンケーキが好きな人を否定するわけではないです。
わたしもパンケーキ食べます。パンケーキ最高。
わたしの場合は、昔、自分の個性がわかりませんでしたから、
すきなもので自分の個性をつくろうとしていました。
そうして組み立て、できあがった個性に満足していました。
周りのみんなは、
ずっとやっている習い事があったり、好きなアーティストや漫画があったり、
その人らしいなにかを持っているように見えました。
実際、それだけが個性ではないとおもうのですが、
当時は外見的なものに惹かれていました。
だから、自分もそういう個性がほしいと思っていました。
「こういう音楽がすきな人なんだ」と周りに認識してもらいたかったのだとおもいます。
自分を映すようなアーティストを見つけ出しては、いたく彼らに熱中しました。
ブルーハーツは、そのうちのひとつでした。
昔はブルーハーツへの愛が強く、メールなどでアーティスト名を出す機会には、
いちいち「THE BLUE HEARTS」ときちんと正式名称で書いていました。くどくて申し訳なかった。
ブルーハーツの一部メンバーが再結成したクロマニヨンズのライブにも行っていました。
摂理に来てから、先生が、自分だけの個性があるから、見つけなさいと教えてくださいました。
それで、他の人が持っている個性ではなくて、
自分が持っている個性はなにかを見るようになりました。
わたしだけの個性がほしいとおもっていたけれど、意外と個性はあるものです。
自分ができることがあろうとなかろうと、摂理はなんでもチャレンジできる場所でした。
できないこともできるようになったし、
知らないことも発見するようになりました。
そうしながら、わたしの個性を発見していきました。
ブルーハーツをすきでもすきでなくても、
わたしは神様から頂いた個性があるから大丈夫だと感じました。
今は、ブルーハーツを含めたすべてのCDを友人にあげてしまいました。
とてもすてきなアーティストだと今でもおもうし、いい歌詞だなあと感じることもあります。
しかし、わたしの個性を彼らにゆだねることは、なんだか人に頼りっぱなしのようにおもえました。
そもそも自分が持っているはずの個性を、彼らの個性によってつくりだしていたから。
個性って、あたりまえなのですが、自分の中にあるものです。
それに気づけたことが感謝だとおもいました。