初めに
わたしは、そらと言います。
20代前半のときに摂理に出会い、信仰をもつようになりました。
今は結婚をして、同じ信仰をもった夫と一緒に暮らしながら主婦兼OLをしています。
ここで記すのは「摂食障害と心の病から抜け出せたこと」について。
私は、若い頃に摂食障害になりました。
摂食障害という病は、とてもとても苦しい病気です。
私に聖書を教えてくださった牧師の鄭明析先生は「人は考えで生きる」とおっしゃいました。本当にそうだと思います。
私が摂食障害になったのも、私の考えから来たのだと今になって思います。
私はずっと、「自分なんてお荷物なんだ、存在価値がない」と自分自身のことをそう考えていました。自分という存在が、嫌でした。
その考えを神様が変えてくださったから、今の私があると感じています。
過去の私は食事3食をまともに食べることが出来ませんでした。今、食事を普通に食べられることが本当に奇跡です。
今、摂食障害から回復する人が少しでも増えるように、心が楽になるようにと思い、何かのきっかけになればと思っています。
また私自身が、今「人間らしく生きられる」ことにいつも感謝できるように、
忘れないためにも、これまでのいきさつを整理したくて記すという目的もあります。
ぜひ関心のある方は、読んでみてください。
認めてもらいたかったー摂食障害になったきっかけ
認めてもらいたくてダイエットに励んだ日々。
大学生の時、バイト先で摂理のお姉さんに声を掛けられたことがきっかけで教会に通うようになりました。でも最初は、神様も、教会もなんだかよくわからなかったです。
教会に通うようになってから少しして、
教会の友人とルームシェアをし始めた頃。
大学の授業についていけず大変だったり、ルームシェアの友人とも人間関係が上手くいっていないことからストレスが溜まっていきました。
そんな中、大学の友人から「ぽっちゃりしてるよね」と言われたことがありました。
分かってはいたけれど言葉にされて「やっぱり私は太っているんだな」と落ち込み、ダイエットをすることを決意しました。
大学に入り、親元から離れ好き勝手な食生活をしていました。ピザやアイス、チョコレートを好んで食べていました。
その当時で、たしか56キロでした。
ダイエットを始めて、ごはんの量を減らしたり、お菓子を食べるのをやめたり、走ってみたり、ストレッチしてみたり。
そうするとだんだん痩せていきました。みんな、私を見る目が変わりました。大学の友人たちからは「わあ、痩せたね。きれいになったね」「かわいいね」とたくさん褒められました。
今までは、そこまで褒められることがなかったから
すごくうれしかったです。認められている、と感じました。
痩せれば痩せるほどみんな認めてくれるんだ、そんな思いでダイエットは加速していきました。
ご飯はひとくち、油の使ったおかずは口にしない。お菓子を食べた日は夕飯抜き、夕食は6時以降食べない、という自分なりのルールが出来上がっていました。
だいたいの食べ物のカロリーも把握できており、食べたらその分消費しないと、と運動ばかりして必死でした。
一方で教会の友人たちからは、ひどく心配されました。
「痩せすぎだよ、病気なんじゃないの?」「少しは太った方がいいよ」
当時の私には「太った方がいい」という助言が、なんでこの人たちは私の幸せを邪魔するんだと思っており、非常におかしな考えになっていました。
1か月で16キロ減って40キロ―身長158センチ
気付けば1カ月で16キロも減っていました。40キロ。
身長158センチで40キロになっていました。
その体重になったころには貧血がひどく、ちょっとした坂を歩くことも、階段をのぼることも眩暈がし、息切れし、すぐに疲れ、倒れそうでした。
いわゆる拒食症だったのだと思います。
年末。
毎日、体重をはかりながら40キロを切り始めたとき、、ふと思ったのが
「私は一体どこを目指しているんだろう、私は何をしたいんだろう」
今まで必死になってダイエットして来たけれど、これ以上痩せるとまずいような気がしました。だけど、太りたくはないです。何を食べて何をして生きたらいいのか、、
その冬の年末年始にかけて実家へ帰省しました。
母とたくさん喧嘩しました。
母がたくさんおかずを作って出したり、お菓子を用意したりすることに対して、私を太らせようとするのかと喧嘩。
いつもより遅い時間のご飯になり喧嘩。
母と顔を合わせれば喧嘩になりました。
普段からお菓子はほとんど手をつけていませんでしたが、あるとき家で一人になったときにせんべいを一口食べたら止まらなくなりました。気付いたらせんべい一袋食べ切ってました。
そうして実家で一人になれば、家にあるお菓子を一気に食べるようになり、帰省していた1ヶ月で体重は5キロ増え45キロになっていました。
これが、長い長い過食症の始まりだったのです。
拒食から過食へー下剤中心の壮絶な日々
帰省から戻り大学も始まりました。
帰省前より、少しふっくらした私を見て教会の牧師さんは「少し健康的になったね。もう少し太っても良いくらいだよ」と声をかけてくれました。
戻って来て大学の生活に戻り、しばらくは過食もおさまっていました。
とある日ルームメイトとの些細な衝突がありました。学校の帰り道に「家に帰るの嫌だな、、」と思い、デパートの地下街に立ち寄りました。
とあるパン屋さん、試食が豊富で各パンの試食ができるようになっていました。
他のお客さんも試食のパンをたくさん食べていたので、試食なら少しだから大丈夫かと、私も他のお客さんと一緒になって試食をしました。そうすると、止まらないのです。試食なのに、何度も何度も食べてしまいました。しまいには店員さんに嫌そうな目で見られてしまい…
でも、パンを食べていると嫌なことを瞬間忘れられて、脳の中でアドレナリンがパーっと飛び出すような開放感、ワクワク感がありました。
試食では足りなくてパンを3個ほど買いました。生クリームの入った甘いパンを一気に食べて、それはそれは幸福感で満たされました。
でも食べ終わったら罪悪感。
こんなに食べてしまった、また太る、我慢してきたのに…吐き出してしまいたいと思いました。
家に帰り、実家から離れるときに以前母が持たせてくれた便秘薬があったのを思い出しました。これを飲んだらもしかしたら出やすくなるかもと思って飲んでみました。
そうすると、数時間後にものすごい腹痛が来て下痢になりました。脂汗が出て、
こんなに出るのか、便秘薬ってすごいなあと驚きました。後で気付いたのですが、その便秘薬は刺激性の強い下剤でした。私は過食をしたら、度々その下剤に頼るようになりました。
そうすると、また痩せるようになりました。周りからは「なんだかやつれているよ。大丈夫?体調悪いの?」と心配されました。でも私自身は痩せたことが、どこかステイタスのように感じられ、心は満足でした。
その一方で、普通の生活が徐々に出来なくなってきました。
下剤を飲むと、おもらしをするのではないかというくらいに突然、お腹が痛くなります。
だから授業中も気が気ではないです。
生活が下剤中心になりました。勉強にも集中出来なくなりました。
けれども。
そのうち、下剤をどんなにたくさん飲んでも効かなくなりました。
効かない… 何でだろうと、怖くなりました。これから私は太るのかと思うと恐怖でした。
吐こうともしたけれど、吐けなかったです。
食べるのをやめたかったけれどやめられなかったです。
でも、唯一私が過食をやめられる時がありました。買い物をする時です。
買い物をすると、その時は食べ物のことを忘れられるのです。そしていっぱい歩く、だから運動にもなりました。
物を買うとスッキリする。
過食をしている時の幸福感の感覚と似ていました。
買い物依存症でもあったのかもしれません。
それからは、太ったり、時には痩せたり。でも周りから見れば痩せていた方だと思います。
一度、一緒に住んでいた摂理のお姉さんに、勇気を振り絞って自分が過食していることを話してみたことがありました。
でも「そらはそんなに痩せてるのに、過食?冗談でしょ。いつもちょっとしか食べてないじゃない」と言われました。
神様が助けてくれると思いつつも御言葉、聖書読む、賛美の全てが好きじゃなかった
摂食障害で苦しむなかでも、決して病院には行きませんでした。
信仰を持っているから、という理由からです。
信仰を持っているのに、摂食障害という心の病にかかったことを認めたくなかったのと、神様が助けてくれるのではないかという期待があったからです。
でも、今思えば私に信仰はなかったのかもしれません。
お祈りすること、教会で牧師さんが伝えてくださる神様の言葉を聞くこと、聖書を読むこと、賛美を歌うこと、全て好きではありませんでした。
なんとなく情で、みんなが良くしてくれるから、教会に通うようになったのです。
いつもどこか寂しく、悲しかった。親に対するホームシックもひどかったです。
当時、礼拝中は牧師さんの話をほとんど聞いてませんでした。何を考えていたか、礼拝が終わったら何を食べるか、自分の体型はどうなっていくのか。そんなことばかり考えていました。
自分では感情もコントロールできないような状態になり、毎日泣きながら「神様、私の病気を治してください」ただそれだけを祈り続けました。信仰はなかったけれど神様に切実に願い求めました。
就活と就職 更に酷くなる過食
そんな毎日を過ごしながら、大学4年になって就活が始まりました。
就活中、過食がさらにひどくなりました。
ルームシェアをしていたから、家ではほとんど食べず、外でたくさん食べていました。
誰かに過食している姿を見られるのは嫌でした。
そう思いながらも、すぐに食べたいという衝動に駆られました。だから、公衆トイレ、デパートのトイレなどのトイレの個室で食べるようになりました。ガツガツ食べました。
そんな状態で、よくも就活ができたと今でも不思議です。
なんとか就職できたけれど、過食も買い物依存症も更にひどくなっていきました。
新卒で入った職場、今思えば良い会社だったと思います。
でも、あまりに自分を作れていない私にとっては全てが緊張の毎日。
だから仕事が上手くいかない。
電話を取るのも超緊張。そんな挙動不審な私を見て、馬鹿にする同僚もいました。
ああ、やっぱり私は役立たず、生きてて邪魔な存在なんだと痛感。
人と比べては落胆の日々でした。
仕事が終われば、買い物か過食を繰り返していました。
摂理とルームメイトを恨んだ日々
社会人になると過食はさらに進んでいきました。痩せることはなくなり、太る一方。
そうするうちに、体重は56キロになりました。ダイエット前の体重に戻ってしまいました。
会社のある男性上司には、豚だと言われました。
ひどい、と思うけれど自分の姿を見ればその通りだとも思いました。
スーツはパツパツ。ワンピースなんて着れません。だんだんと家にこもるようになり出掛けること、人前に出ることが嫌になりました。
そうして摂理を恨みました。
当時、一緒に住んでいたルームメイトを恨みました。私にストレスを与えたからこうなったのだと。
なぜ、私がこんな目に遭わなくてはならないのだろうと悲しくなりました。
学生の頃から社会人になっても、ずっと教会の友人らとルームシェアをしていました。でも症状が強いほど誰かと一緒に暮らすことが苦痛になり、一人暮らしをして自由になりたいと思うようになりました。
そこで当時一緒に住んでいたルームメイトにこの家から出て一人暮らしをしたいと相談をしました。
ところが、急に家を出たいと言われても後から入る人もいないし経済的に厳しくなるから難しい、辛いだろうけれど、待ってほしいと言われました。
まだまだ一人暮らしができない状況に落胆。過食症はどんどん加速していきました。
辛さから抜け出したいー思いを牧師さんに伝える
それから数ヶ月後、我慢してもしきれず辛さがピークに達し、この辛さから抜け出したいと思って、教会の牧師さんに自分の思っていることを綴った長文の手紙6枚を渡しました。
手紙の内容は、自分が摂食障害であり拒食症を経て、今も過食症であること。一年生理が来なかったこと。教会のみんなに対して苛立ちを感じていること、不満。日々のストレス。
一人暮らしをしたいこと。
その牧師さんは男性なので、摂食障害や生理のことを書くのにとても勇気がいりました。
手紙を読んでくださった後に面談をしてくださいました。
怒られるか、呆れられるか、軽蔑されるか、そもそももう教会に来るなと言われるか…
恐怖感を持って面談に臨みました。
牧師さんはひと言。
「そらは何も悪いことはやってないよ。一人暮らし、したければしたらいい」と。
ものすごく軽いタッチで言われました。
瞬間、私の悩んでいたことって、そんなに大きなことではなかった?と不思議な感覚でした。
そうして、そこから一ヶ月もかからないうちに引越し先を探し、教会のメンバー数名にトラックを出してもらい、引越しをするようになりました。
「私はこの人たちに対して、かなりひどい態度で接していたけれど、この人たちは態度を変えることなく、しかも引越しを手伝ってくれまでするんだな」と、久々に、悲しさや虚しさで涙するのではなく、心が温かくなり、目頭が熱くなりました。何年ぶりなのか、というくらいの感覚でした。
この人たちの優しさ…
これが神様の愛というものなのかもしれないと感じるようになりました。
そこから一人暮らしをして、気がラクになったのか、徐々に食べる量も減り、規則正しい食事が出来るようにもなり、少しずつ過食が治まっていきました。
過食が治ったが自分を責め、死を考える日々ーそして徐々に回復へ
そうしてそれから数年間の話。
過食は治りました。
しかし、今度は心が落ち込み何も手につかなくなりました。土日はぐったりして、何もやる気が起きずずっと寝続けたり。
自分を責めたり、悪く思ったり、死にたいなと、人生をここでストップさせたいと思ったこともありました。
山が来て谷が来て、山が来たと思ったらまた谷が来て。過食の時より辛く「どん底ってこういうこと?」と思っていました。
そんな生活を3年。
でも少しずつ少しずつ回復していきました。その3年間でいろんなことがありました。
なぜ私はこんなに不安定なんだろうと自問自答しながら気づいたこと。
私が不安定、というか、私の考え、心が不安定だったのです。
「人は考えで生きる」鄭明析牧師先生の言う通りです。
私の人生を振り返って
私は人生の中でずーっと、心が山あり谷ありでした。
笑っては泣き、喜んでは怒り、生きるって素晴らしいと思っては死にたくなったり。
でも、神様はずっと同じ。
最後まで諦めず心を変えず愛してくださいました。
もちろん私は神様を目で見ることはできません。
でも、いろんな人を通して「そらはそのままでいいんだよ」「そらを愛しているよ」「人と比べなくていいんだよ」「自信を持って」とずーっと言い続けてくれたのです。
だから徐々に、本当に徐々にだけれど、
自信のなかった私に、自信を持たせてくれました。
「生きよう」と思えるようになりました。
自分の価値を悟らせてもらい、他人の価値というものも悟らせてくれました。
私はずっと親離れが出来ませんでした。身体は親元から離れていたけど、心はずっと寂しい寂しいと泣いていました。そして、高校生の頃に親から冷たくされた思い出をずっと引きずっていました。
でも人の価値について分かってからは親も、一人の人間なんだと分かるようになりました。親、兄弟もそれぞれの人生を歩んでいると分かってからは、親、兄弟に対する寂しさや疎外感がなくなりました。摂食障害は親との関係も影響していたのかもしれないとも思います。
3年間で、山あり谷ありだったけど、苦しかったけど、いろんな私の中の誤解が解かれていきました。
「私は、私でいいんだ」と思えるようになった
その頃から少しずつお祈りや聖書を読む楽しさを知り、信仰というものが自分の中に芽生えました。
「感謝する」ことも覚えました。
「私は、私でいいんだ」
と思えるようになったこと。
「私を愛してくれる神様がこのようにいるんだ」
と思えるようになったこと。
「たとえ醜くても、精神的に狂っていたとしても、何も出来ないとしても、全て受け入れ愛してくれる存在がいる」
と思えるようになったこと。
そういう考えを、教会のメンバー、友人、牧師さんを通して持てるようになってから、山あり谷ありの心に安定が来るようになりました。
また、私を受け入れてくれる人がいるから、成長しよう、頑張ろうと前向きに生きられるようになりました。
その時で30歳。
遅いのかもしれないけど、ようやく人生のスタートに立ったような気分でした。
今、人間らしく生きられることに心から感謝しています。
毎日、狂いそうになって、吐きそうになっているのに口に食べ物を入れていた私。
まともに物事を考えられなかったから、勉強も仕事もまともに出来なかった私。
幸せから程遠かった私。
そんな自分が今、人間らしく生きていられる。
人間らしく生き、仕事もしています。
仕事もやりがいを持ってしています。
そして信じられないですが、結婚もするようになりました。
この病を治せなかったならば、私は夫に依存し困らせていただろうと思います。
(もちろん直すべきところは山ほどありますが、、)
過去には想像もつかなかった今の私。
人は考えで生きる。
考えを変えてくださったから私は今このように生きていられるのだと思います。
摂食障害も、鬱病も、考えからくる病、心からくる病は全て治る。
私はそう信じています。
どんな姿でも神様は愛してくださっている
この文章を読む皆さん、
神様を信じていない方もいらっしゃると思います。
でも、これだけは断言したいです。どんな姿でも神様は愛してくださっています。
だから誰ひとり価値のない人はいないし、人生をストップして命を絶つ必要もありません。
この世から摂食障害、心の病が減るように祈りながら、私も社会的に何か出来ることはないか探しているところです。
摂食障害が治ったわたしが何を出来るのか模索中です。
私自身、まだまだ直すこともたくさん残っているので日々学び、日々成長しようと毎日を過ごしています。
考えを変えてこそ、性格も変わるし生活も変わります。人生も運命も変わります。
最後まで諦めずに生きてほしいです。
必ず光が見えるから。
この文章が
心の病、考えの病で苦しんでいる人の何かのきっかけになればいいなと思います。
ありがとうございました(^^)