コミュ障のわたしが飲み会の司会をしたら、おもったより盛り上がった話

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今は春ですので、まさに新歓シーズンです。

この前、新しく大学院の専攻に入学してきた人たちを歓迎して飲み会を開く機会がありました。

毎年、担当が研究室ごとに回ってくるのですが、

今年は、わたしの研究室が幹事の担当に選ばれたので、わたしも一緒に準備を進めていました。

 

わたしは耳が悪いし声も小さいので、飲み会に行っても、話にならないし話ができません。

それよりはちがうことをしたほうが生産性が高いと考え、飲み会はいつも行きません。

なので飲み会に関する知識も不足していました。

それで準備の感覚がありませんでしたが、同期の子たちがてきぱき準備を進めてくれて助かりました。

 

わたしはあんまり役に立てることもないなあとおもいながら、

どんどん話が進んでいくLINEのトークルームをながめていると、

「当日の司会をやってよ」とお願いされるようになりました。

司会ならたまに、教会で賛美をするときの司会をしたり、教会のイベントで経験したりしたなあとおもいました。

それで、まあいっかと了承しました。

 

司会が一連のプログラムを考えることになっていたので、情報を集めていたのですが、

その飲み会では、毎年、新入生が自己紹介をする場面を必ず設けるのですが、

新入生の人数が多いため、一人一人話していると、聞いている人がダレやすいし、

多くの人の前で話さなくてはいけないから、新入生が嫌厭しがちだと聞いていました。

 

それで、どうしたら聞く人も話す人も楽しく過ごせるだろうかと考えていました。

ところで、聖霊様がアイディアを与えてくださることを、聖霊の感動ということもあるのですが、

どうやって進行したらよいでしょう、と主にお祈りして考えているとき、まさに聖霊の感動が下りました。

 

インタビュー形式にしてみたら、いいのではないかとおもいました。

特にわたしの専攻は、わたしを含めてコミュ障ばかりですから、

一人で話すよりも話しやすいとおもいました。

 

もちろん、コミュニケーションが得意な方も入学してきます。

しかし、コミュニケーションが苦手な方の割合が確実に高いです。

また、聞く人たちが飽きてしまうか否か、わたしの技量にかかってきますが、

御言葉通り、古いやり方を捨てて、新しいやり方をやってみようとおもいました。

 

飲み会がはじまり、果たしてこのやり方はいいのかとおもいながらも、感動通りに進めてみました。

自己紹介の時間、20人くらいの新入生たちに一列に並んでもらい、一人一人順番に出てきてもらい、

時間がないものですから、半ばやけくそで質問を投げかけていきました。

 

緊張しすぎて自分がした質問の内容を覚えていませんが、

若干グローバルな学部なので、外国人の新入生もいて、

「日本語はわからないから、英語で質問してくれ」と言われ、

苦しまぎれに「Beef or Chicken?」と聞いたのはおぼえています。

 

やはり緊張しすぎて周りの反応を見る余裕がなく、

会場の雰囲気はよくわからなかったのですが、終わったあと、同期や教授から、

「夏にある飲み会の司会もぜひやってくれ、今回頼んでよかったよ!」と言われました。

いろいろといただいた反応を見てみると、多くの方が面白がってくれたようです。

 

先生の中でいちばんえらい方がいらっしゃるのですが、

「司会の才能があったとは」と閉会のあいさつでほめてくださいました。

聖霊の感動通り、御言葉通りに行ったら、なんかすごい成功しました。

 

わたしは人前に立つことがあまりに苦手です。

教会で、人の前に立つ経験を何度か持たせていただいて、

できるかもしれないなとおもい、今回、やってみようともおもいました。

 

多少足りない実力でも、挑戦させてくださり、先輩方が教え、また、ほめてくださるので

教会で活動していると、少しずつ自分の力を伸ばしていくことができるのです。

 

以前、わたしの教会に、別の教会の牧師さんが遊びにいらっしゃったとき、

その方をお迎えするのに、小さなイベントを行い、

友人と一緒に司会をさせていただいたのですが、かなり面白がってくださり、

久しぶりに二度目にお会いしたとき、そのときの司会が面白かったと、内容までよく覚えてくださっていました。

 

わたしはコミュ障なので、そのとき「アッ、ハイ…」としか

言えなかったのが残念でしたが、心の内はとてもうれしかったです。

そのような小さな経験を積み重ねていき、

自分の中で喜びや自信を蓄えていくのは大事なことだなとおもいました。

 

摂理の教会でも、状況はさまざまですから、教会によって、できることもできないこともあります。

苦手なことをやる機会が回ってきたり、得意なことをやる場所をもらえたりします。

 

やるやらないは自由ですので、やりたいと求めることも、断ることもできます。

神様が自分に願っていらっしゃることや、

得意不得意にかかわらず、自分は何をやりたいのか、じっくり祈って考えてみるとたのしいです。

 

その経験が、いつかいろいろなところで可能性を広げるようになります。

今回は、ひとつの飲み会のことでしたが、

摂理で学ぶことは、教会の中だけでなく、社会で活動することにもつながっていくんだなと感じました。

 

 

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