わたしのじいちゃんが亡くなった話

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おととい、わたしの父方のじいちゃんが亡くなりました。

 

 

日程をずらせない、大事な論文の審査を目の前にひかえていて

状況が難しかったため、通夜のみの参加でした。

 

そういう状況もあって、行くこと自体が無理なのではないかと思っていましたが、

電話口、祖母から疲れ切った声で、「これは大事なことだからきてね」と言われ、

行かざるを得んと思い、父と空港まで向かいました。

 

その日の御言葉で、

人生を生きる中で<機会>は「瞬間」来て、去ります。

ところが瞬間判断できず、行なわなくてその機会を逃したら、

1年、10年、20年後に「その次の機会」が来ることになります。

そうするとそれだけ遅く行なうことになるので、どれほど損であり、つらいでしょうか?

という話を聞いたのです。

ますます行かなくては、とおもいました。

 

空港に着いて、いつも一緒にお祈りしている子と連絡を取り合ったとき、

「せっかくだから、hanaさんのおじいさんのためにも祈りましょ」と言ってお祈りしてくれました。

とてもありがたかったです。

 

葬儀の場所に着いて、じいちゃんの姿を見ました。

じいちゃんは、ただ寝ているだけのように見えました。

 

今まででわたしの身内が亡くなったのは、ほとんどはじめてだったから、

わたしははじめて死んでいる人を見ました。死んでいるという状態って、このようなことなのかとおもいました。

目の前にいる存在は確実に人間だけれど、もう起き上がらないのが不思議だとおもいました。

 

最初にじいちゃんが亡くなったという報告を聞いて、悲しいというより、力が抜ける感じでした。

肉が死んでも霊が永遠に生き続けるということを知っていたから、人が死んでも悲しむ必要がないなとおもっていましたが、

そっか、じいちゃんは死んだのか。生きていることは終わったのか。とぽかんとする感じでした。

 

わたしは家族が苦手で、親族も苦手です。

親族に対してぶっきらぼうになってしまい、めちゃめちゃコミュ障になってしまいます。

だから、じいちゃんが生きているとき、いつまでもうまく接することができませんでした。

どうやって話したらいいかわからなかったのです。

 

じいちゃんより、神様に対する接し方の方が馴れ馴れしいくらいです。

だから、じいちゃんと仲がよかったかと言われると、自信を持ってそうとは答えられません。

近しいような、近しくないような。

 

逆に、じいちゃんから見ると、わたしはただ一人の孫でしたから、

自分で言うのもあれですが、すごく可愛がられていました。

 

しかし、じいちゃんもぶっきらぼうな人でしたから、

愛情表現は、あげることに限定されていました。

どこそこのラーメンがうまいから連れていけ、

庭で採れたトマトが、とうもろこしが、枝豆が、じゃがいもを蒸したから、魚の干物が、お土産のお菓子があるから、煎茶が、

永遠に食べさせられました。しかし、全部かなりおいしいから困る。

 

それでいて、晩ごはんも焼き肉やら寿司やら大量に出されるので、

じいちゃんの家に行くと、いつも満腹中枢が狂いがちでした。

それで毎回父が、もういっぱい食べてるから、とじいちゃんをなだめるのでした。

 

じいちゃんは、わたしがカメラを持って家に遊びに行くと、

この角度で、あの石灯籠が入るように撮れ、と細かく指示し、この庭はすごいのだ、と庭を自慢したこともありました。

 

そしてじいちゃんは、カッコつけマンでした。

昔のアルバムを見ると、

サングラスをかけて、ビシッとスーツを着て、ネクタイもしっかりしめて、

パカっと足を開き、まるで舘ひろしのような出で立ちで写っているものばかりでした。

でかいバイクにまたがった写真もあり、ちょいワル感満載のじいちゃんでした。

 

カッコつけてばかりだから、

いくら体調が悪くなっても、死ぬほど苦しいレベルになって、やっと周りに病状を伝えるような人でした。

妻である、ばあちゃんにも。だから、病気の治療が遅れたことも多々ありました。

 

じいちゃんは、入院中も、カッコつけてばかりでした。

体調が悪くて、寝たきりで、ごはんも食べられない日々でしたが、

父やわたしが久しぶりに会いに行った日は、ベッドから起き上がって、足を組んで椅子に座るのです。

 

ごはんもしっかり食べていて、なんだ、意外とまだ元気なのかなとおもって帰りましたが、

後から他の人に聞くと、その日だけ無理をしていたといいました。

 

お医者さんの言うことも聞かなかったり、点滴を外してしまったり、家に帰りたいとわがままもたくさん言ったようです。

薬の副作用で夜、ふらふらと歩き回ることもあったそうです。

病気で生きるのがつらく、早く楽になりたいとも言っていたそうです。

 

じいちゃんの話は、ほとんど人から聞いた話です。

じいちゃんからじいちゃんの話を直接聞いたこともあまりありませんでした。

そんなじいちゃんとは、地上ではもう会えなくなりました。

 

じいちゃんに直接、神様のこともなんにも伝えられなかったから、

せめて、じいちゃんのいる場所で祈りました。

霊の世界ではわがままをしないように。

素直に神様の御言葉を聞けるように。

おそらくというか確実に、悪いこともしただろうから、代わりに謝りました。

 

ひとつ心残りなことは、

先生がお母さんをとびっきり愛され、お母さんのために本気で祈られた姿を思い返すと、

わたしもそのように、じいちゃんを含め、家族をとびっきり愛せたらよかったなとおもいました。

 

家族以外の人にはよくしてあげられるけど、

正直家族には、満足するほどよくしてあげられていないです。

それがいつも心に引っかかります。

 

先生のように、家族を愛せるようになりたいとおもいました。

 

それから、カッコつけなじいちゃんの、カッコいい写真を

ちゃんと撮ってあげられたらもっとよかったなともおもいました。

 

神様、今までじいちゃんをたくさん助けてくださってありがとうございました。

霊のじいちゃんが、救い主を認めて受け入れることを祈っています。

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