アルバイトでゴミ収集をしているときに見たゴミの話

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わたしは現在、事務のアルバイトをしています。
事務の内容は、トイレ掃除、ゴミ捨て、書類整理、押印作業など、さまざまです。

その中でも、ゴミを回収して捨てる作業が毎回あります。
デスクひとつひとつに、小さなゴミ箱が置いてあるのですが、それをひとつのゴミ袋に集めます。
そのゴミを集めて回るとき、社員の方々のゴミを見ることになります。
ゴミを回収するときは、ゴミ箱の相手のことがわかるなと感じます。

ゴミの量は、人によっていつも同じくらいです。
ゴミが多い人はいつも多いし、
ゴミが少ない人はいつも少ないです。

ゴミの内容も大抵いつも同じで、
ある人のゴミ箱には、いつもお菓子の袋がたくさん捨てられています。
同じく、いつも大量の書類が捨てられているゴミ箱、
いつもコンビニ弁当がひとつ捨てられているゴミ箱もあります。

わたしがゴミを回収するとき、
お礼を言う人、おじぎをする人、ゴミ箱を差し出してくれる人がいます。
それも大抵、いつも同じ対応です。

自分の生活はゴミに表れるのだと感じました。
ゴミは、生活をする中で、必ず出てくるものです。
自分が行なった痕跡は、ゴミとして残ります。

たとえば、くだものを食べれば、皮や種や芯が残ります。
毎日くだものを食べる人なら、毎日それがゴミとして出てきます。
1週間たまったゴミを見たら、その人の行いが見えます。
そしてそれは、放置せずに処理しなくてはいけません。

おなじように、自分のゴミのような悪い考えや行動も、捨てなければずっと残っているし、
わたしのゴミを見た人がいるなら、わたしがどんな人なのか丸見えなのだろうとおもいました。

デスクの下のゴミ箱、一旦捨てたように思えても、ただゴミを貯めているだけです。
完全になくすには、ごみを分別して、適した処理をするところまでしなくてはいけません。

悪い考えも、あ、いけなかったな。とだけおもって、直さないなら貯め続けていることで、
神様の前に自分の考えを悔い改めて、直すところまでやるんだなとおもいました。

ゴミを捨てる姿勢、考えを直す姿勢も、考えました。
わたしから出たゴミ、わたしが責任を持って処理しようと考えるのだとおもいました。

ふつうのゴミは、待っていれば清掃員の人が回収してくれますが、
考えのゴミは、誰かが持って行ってくれる、と助けを待ってばかりでは捨てられません。
仮に、回収してくれている人がいるなら、わたしはその方に頭が上がりません。

考えや行動のゴミ、見えないけれど確実に存在するから、
ぜったいに処理しなくっちゃ、と重たいゴミ袋を運びながらおもいました。

 

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