別に首席でもなんでもないけど、筑波大学を卒業した話

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わたしは筑波大学を卒業しました。卒業っていうか、修了しました。
もう学校というものに所属することは、ほぼないと思います。

 

ついひと月ほど前までは、卒業式の日は大学の敷地内には一切足を踏み入れず、
一人で近畿方面の動物園めぐりでもしようと綿密なスケジュールを立てていましたが、

大学の同期たちにその計画を告げると、
「え、卒業式出ないの?」「学位記もらわないの?」「出ようよ?」などと押されてしまい、
わたしも自分のスケジュールに自信を失い始め、結局、卒業式に出てしまいました。
わたしは人に流されやすいので、祝賀会も謝恩会も出ました。

 

いや、ほんと出てよかったです。
初対面のパンダでもライオンでもなくて、今までお世話になった人たちに会ってよかった。

教会のメンバーたちも、お祝いに足を運んでくれてうれしかったし、
シマウマにはちょっと会いたかったけど、大学生活に区切りがついた感じがしてよかった。
先生方にもあいさつできてよかった。でも、ゾウにはちょっと会いたかった。

 

一度大学生のときに卒業しているため、2回目の卒業式は感動もあまりなく、
流れ作業の感覚で卒業式を迎えてしまいました。

それでも、わたしよりも真心を込めて、おめでとうと伝えてくれる人たちの姿を見ながら、
1日が終わって寝る前にやっと、あれ、今日って結構大事な日だったじゃん?と感じられました。

 

たぶん今ごろFaceBookでは多くの学生が今までを振り返り、新社会人に向けて抱負を語っていることだと思います。
おめでとう?・・ふーん、おめでとう?そんなに卒業めでたい?シャンシャン公開よりめでたい?

と、まるでピンときていなかったわたしですが、ようやく実感が湧いてきたので、
抱負は特にありませんが、せめて感謝の思いで6年間をちゃんと振り返ってみようとおもいます。

 

筑波大学に入学し、大学生になってから、わたしは選択の毎日でした。
きっとみなさんそうでしょう、なぜなら大学は自由だから。

 

サークルに入っても、バイトをしても、
本当にわたしはここに所属していて幸せになれるのか?
4年後、卒業するとき、ここにいてよかったと思える場所か?

そんなことばかり考えていて、どこに所属しても、長く続きませんでした。
音楽演奏、ボランティア、映画制作、ワークショップ運営、広報、インド旅行、いろいろやりました。

でも正直、その中で覚えているのは、新宿二丁目のゲイたちに映画のチラシを配ったことくらいです。
もう会うこともないであろう、ダジャレがうまいインド人たちのことも覚えています。

 

なにか生涯残る経験を学生のうちにしたい、とあちこち探し回っていました。
なにかに打ち込みたいけれど、夢中になれるものがわかりませんでした。

そんなときに、わたしは神様に出会いました。
それでわたしはやっと、とどまる場所をみつけました。
わたしはここでがんばろう。

 

それで、がんばったはがんばったのですが、
摂理に来てからの3年半を振り返ってみると、超うまくいった!と言えるかはわかりません。
それでもう、3年半はあっという間におわってしまいました。

 

 

修了の学位授与式のとき、何人かが論文の優秀賞をもらっているのを見ました。
わたしは、賞をひとつもいただくことはありませんでした。

研究も論文も、そこまで投資できていなかったし、
正直、なんかもう、統計とかむずかしくて発狂しそうだったし、それはそうだなとおもいます。
まさに自然の摂理。

でも、自分にいくら実力がなかったとしても、本当に神様と共にしていたなら、賞ももらえたかもしれない。
もしかして、この6年間わたしは神様と共にできなかっただろうか・・と心細くなりました。

 

わたしは神様を信じ始めてから、賞、1位、優勝、そういうものにこだわり始めていました。
そういうものをもらってこそ、神様が共にしているという証拠になるとおもっていたからです。

そればかりでないことはわかりますが、そうして、わかりやすく証明できる人になりたいとおもっていました。

今年の優秀賞の受賞者は、商品として印鑑をもらっていました。
わたしは、そのときちょうど、印鑑がとてもほしかったのです。

だから一層、賞がもらえないことを残念に思いました。
いいな、きっとシャチハタでない印鑑なんだろうな。あとでAmazonで注文してやる・・と。

 

2年前、大学を卒業したときは、あと一歩のところで卒業制作の賞がもらえませんでした。
すごく時間もかけたし、努力もしたけれど、もらえませんでした。
そのときも、神様と共にしないで、自分ひとりで生きてしまっただろうか・・と不安でした。

この6年間、大学の同期に自慢できることも特にないし、教会の人たちに自慢できることも特にありません。
御言葉中にぐっすり寝てしまったり、先輩にいつの間にかタメ口で話していたり、詫びることならいくらでもあるのですが。
御言葉聞き始めたばかりのころは、神様にもタメ口だった・・ごめんなさい・・
イエス様じゃなくて、イエスさんって呼んでた・・すいませえええん・・

 

それで、学位の授与を終えたあとは、学内では食事会が続いていました。
食事中、教会のお姉さんが連絡をくれ、
卒業のお祝いに、仕事終わりにそのまま大学まで会いに来てくれました。

わざわざ会いに来てくれるんだ、やっぱり摂理の人って愛情豊かだなあとおもいました。
しかし、それと同時に、それは神様の愛だったのです。

 

お姉さんに会いに行ってみると、彼女は卒業祝いのプレゼントをくれました。
中身を見てみると、それは印鑑でした。

 

銀行にもなんでも使える印鑑!シャチハタでない印鑑!!!!!

 

わたしはシャチハタでない印鑑が欲しかったのです!
印鑑、その中でもシャチハタでないもの、
かつ名前でなく苗字のもの(優秀賞でもらうのは名前の印鑑だった)
しかもこのタイミングでこれをわたしにくださるとは、まさしく、神様しかいない!!!

神様、わたしのこと完全に見てる・・
わたしは賞をもらわなくても、ひとまず神様と一緒に生きてる・・よかったぁぁあああああ!!!!!!

 

本当になんにもできなくて、神様のお役に立てたのかなんだったのか、という自分でした。
でも、神様は、続けて一緒にいさせてくださるから、まあいっか。
社会人になって、続けてもっと成長すればいいのだ。そう考えるようになりました。

今までわたしは、わたしのことを認めてくれる人もいましたが、多くの人には呆れられて生きてきました。
教えられたことを忘れて、なんども自分式にやるから、学校や塾の先生には特に好かれませんでした。

 

でも、神様は最後まで許してくださるし、最後まで待っていてくださるんです。
なんども、根気強く教えてくださいました。

愛と許しと寛容の神様だから、人が考えるよりも、ずっと待って、見ていてくださるんです。

だから、学生生活、ここで過ごし、今日までに至るようになりました。

 

3年前は、御言葉がそんなにすきじゃなくて、
御言葉を聞くときはごはんのことばかり考えていたけれど、今はちょっとは聞くようになったし、
御言葉を読み返すのも苦痛だったけれど、今はちょっとは読むようになりました。

お祈りも3分くらいで飽きていたけれど、今はもっと長くするようになりました。
賛美も最初は口パクでしたが、今は真心で歌うようになりました。

マイナスから、やっとゼロになってきたレベルですが、必ず変わり続けています。
社会人、もっとがんばろうとおもいます!!!!

 

今日は、本当にふつうの日記を書いてしまいました。
社会人の抱負は、東日本の動物園を制覇することです。
シャンシャンに会えるようがんばります!!!!!!!

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