平素の生活の大切さ

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世の中の人は皆、大きな成功を願っている。

いや、大きな成功を願っていなくとも、何かしら自分の人生に何かを残したい、と願っている人は多い。

成功を成すためにはどうすればいいか。

それは、平素の生活をきちんとしなければならない。

プロのスポーツ選手でも、同じことが言える。平素の生活をキチンとしたとき、大きく飛躍した選手はたくさんいるのである。

例えば、プロ野球選手を挙げてみよう。

〈工藤公康選手〉

工藤選手はとても偉大な成績を残した。

プロ生活29年で通算224勝。現役生活で14度のリーグ優勝、11度の日本一を経験。西武、福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンク)、巨人、横浜と渡り歩き、所属した西武、ダイエー、巨人と日本一を経験し、「優勝請負人」とまで言われるようになった名投手だ。

40歳を過ぎてもなお、先発でマウンドに立ち、相手打者に向かっていった姿は少し野球に詳しい人であるならばご存じだろう。「鉄腕」という異名も彼を表現するのにふさわしい言葉だ。そんな偉大な記録を残した工藤選手だが、その競技生活は決して順風満帆なものではなかった。特に西武時代、30代に差し掛かろうとしていた1989年ごろの彼の肉体は肝機能障害になり、ボロボロになっていた。引退も考えたこともあったそうだ。原因は平素の生活にあった。

当時の彼の健康状態は非常に悪く、医師から「選手生命以前に死ぬよ」とまで言われるほどになっていた。連日朝まで酒を飲み歩き、その足で登板する不摂生な生活を繰り返していたのだ。その影響もあって彼の成績は次第に下降してしまう。

彼は引退しようとまで思ったそうだが、奥さんに説得されてやり直すことを決意した。平素の食事を正し、お酒もやめて、休養をしっかりとるようになった。サプリメントなども摂取するようにして、トレーニング方法を見直すなど、体調管理を徹底して行うようになっていったのだ。

すると、それまで下降していた彼の成績は上昇した。1989年は4勝だったのが、平素の生活をしっかりするようになった1990年は9勝、さらにその翌年の1991年には16勝を挙げたのだ。完投した試合は登板した25試合のうち10試合、半分近くを一人で投げぬけるようになるまでに回復したのだ。

その後の彼も奥さんのサポートの元、徹底した体調管理を続けていった。平素の生活を見つめなおし、改善した結果、47歳まで現役を続けるようになった。

 

〈”平素”の大切さ〉

平素の生活はとても大切だ。なぜなら、スポーツ選手であったとしても、財閥であったとしても、大統領であっても、どんな仕事を成す上においてもこの平素の生活がすべての土台になるからだ。

また、誰でも一日だけなら、誰でもよい生活は送ることはできる。しかし、それを継続して行うことは難しい。工藤選手であったとしても、奥さんの長年のサポートがなければ体調を管理するのは難しかったであろう。それほどまでに平素の生活を治めることは難しいのだ。

しかし、この平素をキチンとできた時、もっと具体的に言うのであれば24時間カメラを回されていたとしても恥ずかしくない生活を送ることができるようになった時、その人は大きな成功をすでに収めていることだろう。

一度きりの人生、何か大きなことを成したいなら、まずは自分の平素を見つめなおしてみてはどうだろうか。たとえ大きなことは成せず、他人に打ち勝つことはできなかったとしても、自分に打ち勝った人生というのは、最高じゃあないか。

 

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