綱引き

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こんばんは。NORIです。

さて、今回は綱引きのお話。NORIは最近綱引きはやっていませんが、心の動きについてそれに関するような出来事を体験したので、それを書きたいと思います。

 

綱引きは運動会でもよくやりますよね。あれって、綱の中央線にある印を自陣の領地まで引っ張ることができたら勝ち。そんなルールです。

でも、綱引きは運動会だけでするだけじゃあなくて、自分たちが普段生活する中でも結構やっていたりするもんです。なんの綱引きなのかというと、

「考え」の綱引き。

 

これって、自分の悪い考えを直そうとするときには必ず起こる現象です。自分の良くない考えに気づいて、「あ、直さなきゃ!」と思って、良い考えの方向にもっていこうとするけれども、たいていは過去の自分の考えが「やめとけ。そんなことしたって自分が傷つくだけだぞ。」とそれを引っ張り返します。

「直す」考え対「そのままがいい」という構図です。綱の真ん中の印は自分です。印が直す側に行ったら新しく生まれ変わって、「そのまま」のほうに行けば過去の自分のまま。

 

NORIが体験したことというのは、まさにこんな感じのことだったのです。というのも、自分が根本的に直さなきゃいけない考えの病気があります。

それは、「自己肯定感の低さ」です。

NORIは幼い時、思ったことをそのまま言う子供であり、そして物事を順序立てて説明するのが苦手でした。

何か出来事があったとして、それを親に伝えたくても、上手く伝えることができなくて、よく親に「あんたの言うてることはよくわからんなあ」と言われてました。伝えたいという思いが先走ってしまって、口の説明が追い付かなったのです。かといって、じっくり説明することを考えていると、逆に起こったことを忘れてしまって、どんなことがあったっけ・・・となってしまい、伝えることができませんでした。

それは家族だけでなく、友達や学校の先生、部活の先輩などでも同じでした。特に学年が上がるとより理論的に物事を説明しなければ相手が納得いかなくなります。学年が上がるにつれてだんだん説明ができるようにはなってきたんですが、それでも苦手で、何か起こった時に感じたことが先に頭にポン!と出てくるものの、その根拠を説明することができず、相手にされない、という経験を大なり小なり積み重ねてきました。その結果、自分の思考は

「自分が感じたことを言っても、相手にどうせ理解してもらえない」

「相手が悪くて、自分は悪いわけでもないけれども、上手く言えないから自分のせいにしておこう」

「どうせ相手に言っても何も聞いてくれないから、黙って動いておこう」とか、

そういったものに凝り固まってしまって、苦労したし、悔しい思いをしたり、報われず無念な思いをしたり、いろいろしてきました。

何度も何度も変えようとは思ってきたんです。けれども、あまりにもうまくいかないことが多くて、そのうち「またやってもどうせだめだ」という考えにも支配され、この思考を変えることができず、そのため人間関係がなかなか良くなることができませんでした。伝えたいことが伝えきれないことによるもどかしさ、自分の思いをキチンと伝えたとしても相手がこちらの発言に対して、不快感を感じ、仲がこじれてしまったり、相手を泣かせてしまったり・・・。そんな思いに支配され、自己肯定感というか、「自分が存在している」というアピールをすることが怖くて怖くてしょうがなくなってしまいました。そしてその行き場のないもどかしさを、相手の足りないところを見つけて心の中で批判し、罵倒してみたり、「どうせアイツはそんなもんだから期待しないでおこう」と見限ったり、まるで品物をみるような目で相手を見たりとか、してきたんです。

 

そして、この考え自体が良くないことは自分でもよくわかっているから、そんな考えをしている自分をまた責めて自分自身を傷つけて、またその憂さを晴らすかのようにまた相手を心の中で罵倒し・・・という悪循環に陥ってしまうことも多くありました。そんな考え方だから、組織で動くとかもキライで(もともと集団で統率して動くのはあまり好きではなかったんですが)体はみんなと一緒にいるけれども心は遠くに離れておくようになってしまいました。

 

摂理に来た今も、この思考が凝り固まってしまっていて、なかなか直すことができていません。苦しいもがきです。今も頑張ってその醜い自分に向き合い、なんとか直そうと頑張っています。

どうやって直しているのか?というと、自分の場合はとにかく神様にお祈りで包み隠さず、真実に告げるようにしました。

「御言葉を学んでいるのにこんな醜い考え方で笑ってしまうでしょう?」とか、

「直したいんだけれども、直せないんです。直そうとすると、過去の自分が邪魔をしてできないんです。だから助けてください。変われるように助けてください」

「ああ、もういいです神様。直すのしんどいし、できてるのかどうかよくわかんないことに力注ぐの無駄じゃないですか?」

とか、もういろいろ告げました。ここで書けないような言葉で神様に告げたりもしました。

 

そんななか、偶然にもメンバーと対話する機会がありました。普段思っていることを腹を割って話そう、ということでした。ここ最近でも、上のような考えがぐるぐる回っていたのと、季節の変わり目ということもあって精神はモヤモヤ、イライラしていました。だから、自分は対話をする前から、普段思っていることをきちんと告げられるかどうか不安でした。相手が傷つかないように話せるのか?不安でした。だから対話をする前に神様にお祈りしました。

「神様、どうか自分が普段思っていること、きちんと告げることができるようにさせてください。」

そして対話をするとなったら、不思議なことに、自分が話したい内容に自然と話題が移り、自分が思っていることが口をついて出るようになりました。こんなことをされて苦しかった。悲しかった。もどかしかった。もっとこうしてほしい。ゆっくりではありますが、自分の思っていることをキチンと相手に伝えることができるようになっている自分がいました。メンバーも自分の気持ちを流すことなく、きちんと受け止めてくれました。

 

対話が終わって、しばらくしてから「あれ、きちんと相手に伝えること、できたやん」と思うようになりました。また、ここ最近のイライラ、モヤモヤがスッキリしているのも感じました。あまりにも自然に、解けていたのでなんだか拍子抜けした感じもあるんですが、それでも充実感はありました。

後でこのブログのネタを考えていた時に、この出来事が思い浮かび、そして綱引きのことが思い出されました。

自分一人ではどうしても勝つことができなかった綱引き。何をしてもびくともせず、過去の自分の考えに引っ張られてしまって踏ん張ることができなかった綱引き。

でも、そんな自分に神様が味方してくれました。神様は、自分と一緒に綱を引っ張ってくれ、過去の自分との競争に勝たせてくださったのです。勇気をだして戦った時、神様がともにしてくださり、助けてくださいました。こうしてブログを書きながら、今感謝の思いがあふれてきています。感動しています。一つ、過去の自分との争いに勝つことができた、ということに。

この成功体験は、自分の胸にしっかりと閉まっておきたいと思っています。今回は勝つことはできましたが、完全に「自己肯定感の低さ」という考えの病気は直すことができていません。時にはまたくじけることもあるでしょう。しかし、あきらめずに挑戦していきたいと思います。そして、一つ一つ、乗り越えていきたいと思います。いつか過去の自分に打ち勝ち、完全な勝利をして、神様に貴重に使われる人となりたいです。

 

 

〈自分の考えを神様の考えに直す人〉、〈神様がご覧になった時、ふさわしくないところを直す人〉、〈自分の矛盾とさまざまな考えと心を完全に直す人〉が成功率が高く、成功する可能性が高く、結局成功するようになります。 摂理主日礼拝御言葉より

 

〈自分の間違った考えと行ない〉を、命を懸けて直しなさい。100%直して生きたら100%成功し、勝利する。直して生きたら毎日勝利の生、成功の生だ。  摂理主日礼拝御言葉より

 

 

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