相手のために

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自分の信仰生活、そして自分自身の考え方を転換させようともがく毎日です。

私の信仰生活、そして自分の考え方の根本は

「自分の有益」のためでした。

 

実際に御言葉を行って、変化もしたし、聞いていなかった時よりもよくなっていると自負するところもあります。

ですが、最近御言葉を聞いて引っ掛かるところが多くなりました。

御言葉自体はよく理解できるし、神様が伝えたいこともわかるのだけど、

それが自分の中で腑に落ちないというか、、、

こう、すっと胸にしみこんでいかないんですよね。

 

なんでかなあ、とずっと神様にお祈りしていたんですが、

最近になって

「自分の有益のためにしか」御言葉を実践していなかった、と悟るようになりました。

 

この時代の神様と人間の関係は新郎新婦の関係だ、と御言葉で教えてくださいました。

つまり、お互いが相手のことを思って、自分のことは置いておいて、

相手を喜ばせてあげる

相手を気遣ってあげる

相手の気持ち、心情を察する

相手のためにやってあげる

ことです。

それは、そうしたら自分が得になるとか、そうした損得勘定ではなくて

そうやって自分を相手に認めてもらいたいとかいう感情でもなくて

純粋に相手のことが大好きだから

相手のことを愛しているから

そうしてあげたくて自分から進んで行うことです。

 

私は、まだ損得勘定、認めてもらいたいと思う心で御言葉を行っていたところがありました。

讃美、礼拝、御言葉、祈り、etc

純粋に神様を喜ばせてあげたい

神様に元気になってもらいたい

そうした気持ちで行なっていなかったから

 

最近になって停滞感だったり、

御言葉を聞いてもなんか腑に落ちない感じがするのだなと。

 

今、そのことに挑戦し、もがいていますが

なかなか、上手くはいきません。

まず、自分の脳みそにこびりついた

過去の考えの体質を転換させねばならないので。

これがなかなか厄介。

 

正直、

「もうしんどいよー」

と思う日々なんですけれども

 

「大変でも行いなさい」という

過去にきいた御言葉がそのたびに頭をよぎります。

御言葉が頭をよぎるたび

「やるしかねえ」と

自分で発破をかけて行っています。

 

だって、やらなかったら今のままだしね。

やったら次元が上がるから、そこから見える世界ってどんなんだろうと

希望を抱いて

粘り強くやって行きます。

 

まずは祈らねば。

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