鄭明析牧師について

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こんばんは、NORIです。

今日は、私に御言葉を教えてくださる鄭明析牧師(=先生)について書こうと思います。

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私は、過去、先生のことを誤解していたことがありました。

私は、先生のことを、ずっとスーパーマンみたいな存在だと思っていました。

先生が、一日中サッカーの試合をしたとか、

極寒の山でお祈りの生活をしたとか、

笑顔でずっと周りの人たちに接していたとか、

私には到底まねできないことをされていたからです。

 

摂理に来て初めのころは、先生の事をそういう風に思っていて、

先生にできないことはないだろう

先生はどんなにつらいことがあってもなんてことはないのだろう

そんな風に思っていました。

 

 

ですが、ある出来事が起こってからは、その認識が変わりるようになりました。

 

私が摂理に来て間もなかったころ。

先生のお母さんが亡くなられました。

お葬式の様子を、たまたま見る機会があったのですが

式場では、先生のお母さんの生前の映像が流れていました。

 

いろいろな映像が流れていたのですが、その中に、先生がお母さんの頭についているゴミを取ってあげているシーンが流されたものがありました。

 

当時、私は先生のことをもっと知りたくて、

お祈りをたくさんしたり

御言葉をたくさん読んだりしていましたが

なかなかわからなくて

もどかしい思いをしていました。

 

そんな中で、その映像を見た時に

ふと、私自身が、母にそのようにしている光景と重なったのです。

「母さん、頭にゴミついてるよ」

「え?本当?取って取って」

「ちょっと待ってて。今取るから」

そんなよくある光景を、先生もお母様にされているのを見て

私は当時、ものすごいショックを受けました。

 

「先生だって、普通の人間なんだ」って。

 

私はその時、先生のことを超人、スーパーマン、なんでもできる人、できないことなんて何もない

という考えで先生を見ていました。

 

ですが、確かに先生はすごいけれども

そのように先生がなることができたのは

ただ先生がそういう才能が生まれつきあったのではなくて

先生ご自身が

聖書をたくさん読んで

そこに書かれていることを実践して

それこそ、血のにじむような努力をされてきたから

そんな風になれたのだということに

気づいたのです。

 

そう気づいてから

なんだかものすごく申し訳なく思えました。

 

よく、学校で勉強ができる子に対して周りの生徒が

「お前はそんなに勉強ができていいよな!」と

むやみに冷やかすことがありますが

 

私も先生に対して

先生の努力、苦労をなんとなくでしかわからず

「先生はなんでもできていいよなー」

「御言葉でいいこと言っているけど、それって先生自体がすごいからできたんじゃない?」と無意識のうちに思っていたことに気づいたのです。

 

そう思ったら、とめどなく涙が出てきました。

涙を止めることができませんでした。

周りの人たちは悲しくて泣いていたけれども

私は悲しさに加えて

そうしたことに気づけなかった己の情けなさと悔しさ

申し訳なさで泣いていました。

「ごめんなさい、ごめんなさい。」

そう心でずっと言いながら泣いていました。

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私は、先生のことが好きです。尊敬しています。

なぜか?

先生自身が、学んで、行なって得たことを

私に愛で教えてくださるからです。

言葉だけではなく、行ないで示してくださるからです。

 

先生はつらいことも、苦しいこともすべて経験されてきているから、私たちを愛で教えてくれます。

その分、私たちには見せない、苦しいことやつらいこと、あるのではないでしょうか。

私は、そんな先生の心情をわかり、支えてあげられるようになりたいと思っています。

 

 

 

 

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