「ほどほど」は、もううんざりだ。

2020 8/13

私は、「普通に」「ほどほどに」という言葉を以前はよく使っていました。

何をするにしても、ほどほどに。

勉強をどれくらい頑張るか?  

ーほどほどに。

スポーツとかの大会、どこを目指すか?  

ーそんなの、どうだっていいじゃない。みんな一番になれないから、楽しくやれればいいんじゃない。

 

とか。

 

普通とか、ぼちぼちとか、そうしたことを言っておけば、何かあった時に保険がきくし、言い訳がつくから、頑張りすぎて精神的におかしくなりそうだから、その言葉をよく使っていました。

 

でも、最近、その言葉が嫌いになってきました。

なんというか、面白くない。

ほどほどにやれば、確かにそこまで頑張らなくて済む。

嫌な思い、悔しい思いをしなくて済む。

自分が傷つかなくて済む。

 

確かにそうだけれども

でも、「ほどほどに」やってみたら、そのあとに得られるものも中途半端で

後悔をしすぎないように「ほどほどに」やっていたつもりが

後になって、そうした自分に後悔している自分がいる。

傷つかないように「ほどほどに」やっていたのに

なんだか、未練が残っている。もやもやしている。不完全燃焼になっている。

 

心と思いを尽くして行えないと、くすぶったままになっている。

 

自分の過去を振り返って考えてみた時、ものすごく頑張ることを、あんまりしてこなかったな、と思います。

いつもどこか逃げ道を作っていたというか。

 

それは自分の、神様に対する態度でもそうだったな、と感じることがありました。

別に、何か大きな出来事があったとか、雷が落ちたような悟りがあったとか、そういう大それたものはないのだけれども

自分って、いつもどこか、もう一歩、一生懸命になりきれなかったなあと

ふと頭をよぎったことがあって。

 

もっと、突き進めて、ちゃんとやらないといけない。

ほどほどにやることが、一番自分が自分に、あるいは神様にうそをついている。

 

一生、一度しかない人生を、ほどほどに終わらせていいものか。

それだと、ほどほどのモノしか、残せない。

それは、あまりに無念じゃないか。後悔するではないか。

 

太陽のように、私を愛してくださっている神様に、そうしてよいだろうか。

 

 

私は、これからは目的を成すために、極まで、突き進める。

ほどほどではなく、極まで振り切ってやって行く。

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