心を打ち明けるということは
最初から出来ることではなく
またタイミングもありますよね。
昨日から、東京の摂理教会のメンバーが筑波教会に遊びに来てくれていました。
今朝、朝食を一緒に食べたのですが
いつの間にやら何だか自分の弱かった部分、
今も弱い部分を話していました。
最初からそのように話すつもりは全くなく
別のことを相談するためと
東京から来たお客さんだからということで
食事しながら気軽に交流でも出来たらいいなと思って
朝食を一緒にとったわけです。
一緒にいた筑波教会の大学生メンバーも、
過去自分が神様に助けてもらったことなどを
自然に話す時間となりました。
誰でも、「あなたの悩みを打ち明けなさい!」と言われて
しぶしぶ打ち明ける人はいないと思います(笑)
打ち明けたとしてもそれは100%、心のうちを全て話すということは無いのではないでしょうか。
日本人ならではの性質なのかもしれません。
何でもない話は、いつでもどこでもできますが
心のうちを話すというのは
いつでもーどこでもーというわけにもいきません(笑)
タイミングもありますからね。
今日、私が話し、また話を聞きながら
お互いの心を楽に話すって大事な時間だなと思いました。
また聞いてくれる人がいて幸せだなと思いました。
私は元々、人に悩みを打ち明けることは殆どありませんでした。
特に年齢が上になってくるとその傾向が強くなりました^^;
お祈りの中で神様だけに話すことが本当に多くなりました。
あるとき、摂理月明洞にいる牧師さんにこう言われました。
「日本人はあまり自分の本音を打ち明けない」
・・・確かに。
否定はできませんね。
そして
「仕事の話しだけじゃなくて、お互い心を楽にして話しましょう。」
と、言われました。
本当にそうだなと思いました。
心をお互い楽にすると、いろんなことが楽になりますよね。
年をとってくると(笑)、パッと見は大丈夫さを装うことがありますが
心を楽にして話せることが本当に感謝です。
心を打ち明けられない苦しさ、
それは本当に本当によく分かります。
本人が一番苦しいですよね。
神様が兄弟姉妹を通して私の心を楽にさせてくださっていることを
心から感謝します。
今日も宝がまた一つ、私に増えました。
黄金、お金、ダイヤモンド、宝石だけが宝ではない。
自分が願って望むもの、自分に必要なもの、
希望するものが「自分にとっての宝」だ。
摂理の鄭明析牧師 明け方の御言葉より