摂理はア・ラ・カルト <牧会者、指導者編>

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摂理では、ある使命が突出して権力を持つとか、そういったことはない。
様々な部分に一番関わる部分が多いのは牧会者だが
それは権力とはちょっと違う、いやだいぶ違う( ・ω・)ノ

摂理の牧会者は教会の様々な人々に接するため、
限定されたカルトのような感じでは
残念ながら到底対応が出来ない(T□T)
「指導者は様々なことを知らなければならない」
と一昨日、話しがあった。

確かにそうなのだ。
私は牧会者をやったことがないので
外から見たことしか言えないのだけど
傍目で見ていても、
「ア・ラ・カルトな存在だよなあ、摂理の牧会者って」
と思うのだ。

例えばこうだ。
摂理の大学生には様々な人々がいる。
学部もバラバラだし、文系理系一つとっても違うし
得意なこと、もっている個性がそれぞれ違うし。
目指している方向がそれぞれ違うし。
様々な違いがあるから、ア・ラ・カルトでないと接するのが結構厳しくなる。
時にはまるで親のように、
「大学休みたーい」
と、言っている大学生を目の前にして、勉学の必要性を優しくといたり。
危いところで留年を逃れたり(笑)
牧会者はあるときはまるで親のように、またあるときは年上のお兄さん、お姉さんのように
またあるときは友達のように変化する。
次に摂理の青年部達。社会人達である。
職種も本当にバラバラ。
摂理人の職種を全てあげるならば、全ての分野にいるのではなかろうかというくらいである。
忙しければ、礼拝にもなかなか来れない人もいる。
家庭局も様々な方々がいらっしゃる。
一つとして同じ家庭と言うのはないだろう。
他にも壮年部、銀河、中高等部など様々な摂理の人々。
更に摂理でもっている各自の使命なども全然違う。
まるで一人一人が一つ一つの星のように輝きが異なる。

これらの人々に接するとしたら。
ア・ラ・カルト要素が必要だし、何より神様がされたいように
神様の体となってすることが必要なのだという。
自分がトップになってしまっては、神様が共にすることが出来ないし
いつまでも牧会者が隅から隅まで、全ての指導をしていたら
だんだん摂理メンバーも窮屈になっていくだろうし、牧会者も胃に穴が空く(・ω・)きゃー
牧会者に限らずとも、指導者と言われる人は
ありとあらゆるア・ラ・カルト要素が必ず必要だし
全ての分野を覆ってこそ、指導者なのだという。
もし、安倍首相が一つの分野にしか頑張らなかったら
それこそ国家的な問題に発展してしまう。
その指導者の個性、得意分野があるにせよ
ア・ラ・カルト要素をもった指導者はやはり強いなと思う。

神様が望むア・ラ・カルト要素。
私も、その要素を持ちたい(人´口`)

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