教会の無い地で大学病院MSW(医療ソーシャルワーカー)に!

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すべての夢を叶えてくださる神様-採用試験篇-

はじめに

こんにちは、国立大学出身のかぼちゃアイスといいます。摂理に来て、もう少しで3年になります。現在は、MSW(医療ソーシャルワーカー)として大学病院に勤務しています。

MSWは、病院勤務の社会福祉士です。今はまだサブ的な仕事しか関われていないのですが、とっても楽しく仕事をしています!

私の就活は、各病院のHPから求人情報を得たり、合同説明会に参加して話を聞いたりし、その後病院説明会に行って、次には採用試験という流れでした。選考も、二次くらいまでしかありませんでした。

しかし、医療職の採用には資格を持っていることが必須条件であるため、内定をもらっても国家試験(以下、国試)の合格発表がある3月まで気を抜けません。私自身、大学3年の3月から翌年3月までの約1年間就活が続きました。

大学4年次は、就活・卒論・現場実習・国試と本当に忙しかったです。しかし、これまでさせていただいていた教会での役割(スポーツのまとめ役、礼拝の最初に行う賛美の司会や聖歌隊など)は、自分が出来る範囲でさせていただいていました!

礼拝に参加して、御言葉を聞いて、賛美をして、お出掛けしたりもして…。教会に通いながら、神様と共に就活や国試を乗り越えた怒涛の1年間を振り返っていこうと思います。

 

あっという間に内定GET!しかし…

3・4月 私は摂理に来る前から、将来は地元で働くことを考えていました。あの東日本大震災が発生した日に中学を卒業した私にとってその出来事はとても衝撃的であり、将来は地元の復興に携わりたいと思っていたのです。

高校生の時点で分野も地域も職種も大方絞っていた私は、摂理に来たあとも、当然のように地元に戻ることを考えていました。あとにも出てきますが、そのことで摂理の先輩方にたくさん心配されました。

しかし、頑なだった私は、祈ってやってみて地元に戻るべきでなければどんどん落とされるだろうと思い、合同企業説明会も医療や福祉のブースのみを回るなど、自分の意思を変えずに就活を進めました。その時に回ったブースのうちの1つ、A社の選考が本当にあっという間に進んだのです。

もっと話をしたいという言葉につられて本社に来てみればそれが一次選考だった、なんてことがありました。どんどん話は進み、気づけば4月には最終選考が終了。

大学4年次が一番忙しいと知っていた私は、“就活が早く終わるように”とちょっとばかり祈ったことがあったため、まさかと思ったりもしましたが、そこは神様の働きかけにより、

もっと自分が次元を上げたら別の道が開かれる気がする…
と思った私は、就活を続行することにしました。

 

神様は様々なものを通して話してくださる

5月 ある日曜の午後、帰省から戻る電車の中で摂理のお姉さんに会い、上記の神様との出来事について話していると、瞬間虹が見えました。その時、

あの時浮かんだ考えは確かに神様が下さったもので、
あとは自分がもっと次元を上げれば神様が叶えてくださるのかもしれない

と思うようになりました。この虹は、その時間のその車両、反対側の座席に座っているお姉さんの隣の席が空いていて、そこに移動していなければ見えなかったため、神様が私に伝えたいメッセージだったんだなと確信しています。

また、神様は天気で共にして下さったりもしますが、実は選考を受けた5社のうち、全日程雨が降らない晴天だったのは一社だけで、天候でもすでに私が入るべき職場を教えてくださっていたのかもしれないなと思います。

雲1つないほどの晴天で、5月にも関わらず30度超え。ニュースでも取り上げられていました。この時真っ黒スーツで出歩いていたことはまた別の話。

 

祈ってはいたが、自己中心的な考えを捨てられなくて…

6・7月 受けた選考の中で最も印象に残っているのは、B病院とC市役所の選考を連日で受けた時のことです。この日いつも通りに帰省した私は、祖父母の家で昼寝をしていました。そして目が覚めたら…。なんと、38度の熱が出ていたのです。

これにはさすがに、

今回の企業は違うのかも…?

という思いもよぎりました。

しかし、自分としてはB病院が第一志望だったため、“私が働く会社として神様が良いとおっしゃる職場ならば一晩で熱が下がるように”と神様に切実に祈り求めて寝ました。本当に切実でした。

結局、翌朝37度5分までは下がり、ふらふらしながらも試験を受けに行きました。是が非でも受けたがる私に神様と主が力を貸してくださったのを感じましたが、明らかに私の自己中心でしかなかったと反省しました…。

C市役所の試験まで受けて、次の日に大学へ戻りました。道中、その日の主日の御言葉を聞いていたのですが、その時の主題が『ほかのところにもっと良い御心がある』という御言葉で、まさに答えをおっしゃっていたのです!

冷静に考えれば考えるほど、

B病院とC市役所は神様が私のために用意してくださった場所ではない

と答えを下さっていたとしか思えないのですが、これまたその当時は自分の考えがぬぐいきれず、間違った解釈をして、強引にB病院が御心だと考え続けました…。

さらに、この日の御言葉では、『無理した時、体が具合が悪くなってこそもっと無理しないで休む。神様は、「どうして休んで遊ぶのか?」とおっしゃるか。むしろ「私もあなたのようにたくさん働いていて、休みに来た」と仰り、一緒に休んで話していかれる。神様が去って行かれてみたら、それまで一生懸命にやったと言って、「祝福のカギ」をおいていかれた。』とおっしゃっていたのです!まさに熱を出してふらふら状態であった私の状況とリンクしていて鳥肌が立ちました!

神様がすべての状況をご存じだったこと、共に過ごしてくださっていたことが本当に嬉しく、胸が苦しくなるくらいにボロ泣きしました。賛美しながら涙が流れることはありましたが、純粋に御言葉を聞いて涙したのはその時が初めてでした。強烈に神様の愛を感じて感極まったのだと思います。

その後感謝の祈りをすると、これまたハート形の雲を見せてくださり、本当に愛を感じるしかありませんでした。

それから数日後。ある一社から合格通知が届きました。それはD病院からの通知で、その数日前にネットで行われた合格発表において、自分は不合格だと思い込んでいた病院でした。ネットで番号を見た時、私はなぜか、自分の後ろの(受験番号の)人が合格したのだなと思って疑いませんでした。本当に自分だと気づけなかったのです。

自分中心の考えがあると、神様が答えを下さっても分からないのだと悟りました。

 

すべての夢を叶えて下さる神様-就職先決定篇-

項目や期間を決めて、ひたすらに祈る!

8月 前もってする祈りが大きいと聞いていた私は、摂理に来た時からよく進路についてもお祈りをしていたのですが、今回改めて私が進むべき道をはっきりと悟るためのお祈りを始めました。

7月の時点で全ての選考を受け終わり、受けた5社のうち3社から内定をもらっていたのですが、なかなか決めきれないまま月日が流れました。それでもお祈りを続けていると、

お祈り14日目に看護学生の従弟や病院で働く親戚から「どう考えてもD病院でしょ」と言われたり、お祈り28日目には地元のことで祈っていた人たちの中でのお祈りが増えたり、きっとここに就職するのがいいのだろうなと思い始めました。

お祈り41日目には、基礎となる御言葉をすべて聞き終えてまもない頃に進路のことで相談に乗ってもらっていた牧師さんとまた話す機会ができ、そこで地元に戻る決心を伝えました。

突然ですが、何故ここまで地元に戻るのに覚悟が要るのかというと、私の地元には教会がないからです。その上住むのは実家。もちろん実家暮らしの摂理人もたくさんいますが、教会がないとなると祈りも礼拝もほとんどを家で守ることになります。

信仰は始めの3年が大事といいますが、私はまだ3年とまではいかず、信仰を持っていない人たちの中で信仰生活をちゃんと続けられるのか、教会の指導者の方には信仰的にたくさん心配されました。

そのような心配をされながらも、地元の復興に携わりたい思いが強かった私は、御言葉を学んで間もない時に地元に教会がないことを知ったその時から、素直に地元を復興させたいという思いを持ち続けました。

そのために、現地に赴いて祈ったり、地方の復興に携わる方の話を聞いたり、地方の教会に足を運んだり、様々なことをしました。

お盆には、地元で礼拝が開催されると知り、絶対参加したいと思った私は、“その日家族みんなで出かける予定が入っているけれども何とか礼拝に参加したいです”と神様に祈り求めた結果、無事礼拝に参加出来るようになったということもありました。

自分なりにそのようなことをしつつも、指導者の方に進路の相談をするとあまりいい反応が返ってこなかった経験から、就活中は、就活初期に牧会者の方に相談したきり、教会の指導者の方には進捗のみを話して、あまり相談は出来ませんでした。否定されるかもしれないと思ったからです。

指導者の方には相談できなかったけれど、神様や主にはたくさん祈ってたくさん尋ねました。

しかし、そのように就活をしていると、どうしてこそこそと就活しなければならないんだろうと思うようになりました。そして、教会の合宿を機に、指導者に相談するのではなく、指導者を通して話してくださる神様に相談するんだという考え方に変わり、ある時に指導者の方に言う決心をしました。

そこで晴れて、自分が教会のない地元に戻ることを考えて就活をしていることを伝え、気を楽に就活を続けることが出来るようになりました。

私は変に構えてしまいましたが、教会の指導者の方に相談するときは、神様に相談すると思って気楽に話してみたらいいんじゃないかなと思います!

 

御言葉にすべての答えが入っていた!

9月 そうこうしているうちに1か月の病院実習も終わり、当時の副牧会者の方の一言で、一緒に月明洞に祈りに行くことになりました。月明洞では、湖の八角亭で、湖の滝を目の前にずっと御言葉を読み、祈って過ごしました。そして、自分が気づいていなかっただけで、

その時々で神様は御言葉で答えをおっしゃっていた

ことに気づき、内定をもらっている会社の中からD病院に就職することを決めるようになりました。

それでも、自分の考えが強いと自分自身でも認識していた私は、本当にD病院でいいのか不安になりました。その時。私がすべてを祈り終えて湖の橋を渡って戻ってきたと同時に、神様を象徴する湖の滝が放水をやめたのです。

前日は16時ころには放水が終わっていたのですが、その日は私がお祈りを終えた18時ぴったりに止まりました。これを見て、

神様が共に過ごしてくださっていたんだな。だから大丈夫だ

と確信するようになりました。

 

“答えを受けるための祈り”から“決心する祈り”へ

11月 私は教会のお姉さんとルームシェアをしており、他の教会から遊びに来た方がよく泊りに来られたりしたのですが、ある時、いつもたくさん祈ってくださっているお母さんのような先輩(以降、お母さんと呼ぶ)が泊まりに来たので、進路のことを話すようになりました。

すると、これまでにはなかった反応が返ってきました。経験談も交えながら、「若いころの決断は大きい。行ってやってみなければ分からないこともあるし、私は応援するよ」と言ってくださったのです。

お母さんを通して主が仰ってくださったのであろうその言葉をきっかけに、“その地に行く目的を悟らないといけない”という祈りから、“その地で走るために必要な準備をしよう”という祈りに変わりました。その時やっと、教会がないところに行くということに対して改めて覚悟を決めるようになりました。

その頃から、他の指導者の方の反応も良い方に変わっていったのを感じていました。

就職先も決定!教会のお姉さんたちにもちゃんと話せた!これで無事就活はおしまい!
あとは大学生活を満喫するぞ!と思いきや…

 

すべての夢を叶えて下さる神様-国家試験篇-

最大の難関!合格率30%を切る国家試験に挑む!

12月 無事に就職先をD病院に決定しましたが、そこの採用条件は「国家資格を取得すること」。つまり、国試に合格しなければ内定取り消しになってしまうという状況で、まだまだ就活は終わりませんでした。

私が受けたのは社会福祉士の国家試験で、全国合格率は30%を切ります。100人受けて合格者は30人という世界です。

その年の難易度によりますが、合格点は大体全体の6割付近に設定され、その合格基準点を下回ったり、全150問19科目中1科目でも0点の科目があると即不合格になる厳しい試験です。

ちゃんと勉強すれば取れる試験だと言う人がいる一方で、何年かかけてしっかり勉強しないと合格出来ない本当に難しい試験だと言う人もいます。

ある大学教授は、膨大な範囲の中からほとんど出題しつくされていて、今や重箱の隅をつつくような問題、現場では使わないようなところまで出されるようになってきていると言っていました。

私は、10月の模試の時点で4割しかとれておらず、また0点の科目もありました。しかし、まだ卒論も残っており、100%国試に時間を費やせるわけではなく…。集中力が続かない日が国試直前まで続き、無意識に焦りとストレスもたまっていたようでした。

余談ですが、私自身本当にもがいていたのですが、(私がうまく説明できなかったこともあり、)実は大変さが教会のメンバーにはほとんど伝わっていなかったらしい話をあとで聞くようになって、少しもどかしい思いをしたりもしました。

ですが、当時も神様が分かってくださればそれでいいと思っていましたし、伝わっていなかったと知った時には既に合格が決まっていたので、国試前に気づいて変に気持ちを揺さぶられなくてよかったなと思います(^^;

 

どんなに試験勉強に追われても、教会で自分がすべきことをやり遂げた話

1月 国試があるのは2月の頭。もし不合格だったら内定は取り消しとなり、また1年就活をやり直すことになると思うと、これまでどんなに忙しくても礼拝に参加できる限りは休むことのなかった使命を休みたくなるくらいには、時間的にも心的にも追い込まれていました。

国試直前には、出来る限りの時間を国試対策に費やしたく、礼拝の使命を誰かに交代してもらいたいと思い連絡を回したこともありましたが、不思議なもので誰も代わりが見つからず、結局自分でやるようになったということがありました。神様がものすごく助けてくださって自分の位置を守れたことが記憶に新しいです。

以前、オレンジ(だったかミカンだったか)を食べたいと祈ったらオレンジジュースが出てきたという話を聞いたことがありましたが、“助けてください”という祈りが、他の人が代わりにやってくれることではなく、神様が環境状況に働きかけてくださって、自分で使命を果たせるようにさせてくださるという形でなされたのだなと思いました。

 

もう神様に委ねるしかない!

1・2月 話を戻しますが、私は国試直前まで0点の科目が代わる代わる出てくる状態で本当に散々でした。これまでも祈っては来たけれどもっと切実に祈らなければならないと、最後まで主と一緒に頑張りたいと思った私は、最後の1週間は100%信じて行おうと決心しました。

100%信じるということは実際にやってみると難しく、これまで100%信じて行えたかと言われるとうなずけない部分がありました。しかし最後は、神様にすべてを委ね、100%信じてちゃんと行いたいと思ったのです。

すると早速、『遅れてると思わないで、速度をぐんと上げて行いなさい』『ちゃんとやることが<早くやること>だ』など本当に答えを得るしかない御言葉が続きました。

一人で勝手にあたふたしていた私を、

いつも神様は御言葉で助けて下さっていた

のだなと思います。不安で仕方なかったですが、神様と主が一緒だと思うだけで力が湧きました。

前日には、大学時代を一緒に御言葉を聞いて過ごした先輩にお祈りしてもらったのですが、祈った通りに、当日の試験で分かる問題が出たり、0点を心配していた科目では中学生でもわかるような問題が出て確実に得点出来たりと、本当に最後の最後まで神様と主が共にして下さったのを感じました。

また、当日会場へ向かう途中までも、「諦めたらそこで終わり」という言葉を2回も耳にし、どこにいても神様が共にして下さっているのを感じるしかなかったです。

そして迎えた合格発表の3月15日。今回の国試は合格基準点が99点でしたが、私は111点で合格することが出来ました!国試直前の自己最高得点は89点、0点の科目も残った状態であった私にとっては最高の結果でした!

ちなみに今年は例年より合格点が高くなっており、例年なら合格圏内であった90点台でも不合格なので、自己採点で90点をとって安心していたけれど不合格になってしまった、という人もいました。

実は、期間を決めて祈ってきた項目の中に、“(国試が終わってから合格発表まで1か月以上あるため、)合否が危ぶまれる点数ではなく、100点以上とって安心して残りの大学生活を送りたい”という項目も入れていて、祈った通りになされたのだなと思いました。

勉強は自分がするしかなかったですが、自分が祈って神様と共に行った分、その通りになしてくださる神様は本当にすごいです!

これをもって就活は終了!
本当に長い長い就活でしたが、神様と主がいつも近くにいて、一緒に過ごしてくださっていたことに心から感謝しています!

 

隠密に働かれる神様。御心はずっと前から繋がっていた!

その後、社会人になって地元に戻る前に、“神様が私におっしゃりたいことがあれば御言葉で話してほしい”と思い、21日間続けてお祈りをしていました。すると、前の教会最後の主日の御言葉はもちろん、その日に話したお姉さんたちとの会話を通しても、神様が私に答えを下さいました。

それは、私が(主と共に)決めた進路が神様が願われる道であると感じるしかない話ばかりでした。

 

最後に

私は現在MSWとして働いていますが、なんと今の職場には摂理の先輩が働いています!来てみないと分からないことって本当にあるんですね!本当に神様が選んで下さった職場であると感じるしかありません!

今の職場は第一志望ではなく、決めてからも本当にここでよいのか内心不安もありましたが、神様に祈って願い求め、主と共に行ったことはすべて私にとって一番良い方向に導かれていて、主と共にするならば、心配も落胆も本当に必要ないのだなと実感しています!

蓋を開けてみたら、お祈りしてきたことも網羅されていましたし、病院でありながら震災復興にも関わっていて、私の夢もちゃんと神様の計画に含まれていてすごいなと思うばかりです。

大変なこともありましたが、神様と共に行う就活は本当に楽しかったです!

長文でしたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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