<比較>はいつでもすることではない

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

<比較>はいつでもすることではない。
<神様がくださったもの>を「普通」に思って、<向こう側の他人のもの>を「大きく」思うから、その時、実相を悟るように「比較」して見るようにさせる。
比較したら、<神様がくださったもの>が大きく素晴らしく神秘だということを悟った。このような時だけ「比較」するものだ。

<自分のものがもっとよいのに劣っていると考える時>、この時「比較」して「自分のものがもっとよいということ」を悟るようにさせる。

<自分のものがもっとよくない時>「比較」したら、委縮し、むしろ力を失うようになる。

-摂理 キリスト教福音宣教会 御言葉より

投稿者プロフィール

RIO
キリスト教福音宣教会のRIOです。
東京郊外生まれ&育ち。数年前からつくば市に在住しています。職業は、子供関連の仕事をしています。
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事一覧

  1. 貴賎(きせん)-詩
PAGE TOP