行いの核心には言葉や思いがあり、言葉は絶対に軽視できません。
しかしながら、行った人には絶対にかないません。
自分がやってもないのに、何か人にものを言ったり、要望を出したり、心の中で人に対して何か良くないことを思ったり、評価したりということは私はしたくありません。
でもたまに、心の中に、ほかの人をみながら「何であのようなことをするんだろう?」と思うことがあります。
早くその膿を完全に無くしたいです。
要望を出す際には、それがたとえ自分の指導者であっても、自分より年下の人であっても
言うだけのことを自分がちゃんとやってるのかを振り返りたい。
最近、同じ教会の指導者も、そのようなことを切々と悟ったそうです。
私は行う人の背中を信頼します。
行う人の言葉を信じます。
そしてそのように自分もありたいです。