<仕事をする時>も必ず休んでこそ「仕事の能率」が上がる

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脳が居眠りをしたら止められません。

脳自体が疲れて作動ができない状態は、エンジンが止まった状態と同じです。

<機械>もエンジンが過熱したら自動的に作動が止まるように、<脳>も疲れて限界にな
ったら、自動的に作動ができなくなって、考えがぼやけます。

脳が疲れて眠ければ、目が覚めません。
脳が疲れたら「まともな作動」ができません。

仕事をたくさんしたら、力が抜けて力を使えず、それ以上働けなくなるように、<脳>も
一つの「肉体」なので、脳が疲れたら力がなくてちゃんと作動できず、決めた時間に起き
られません。
(この御言葉を書いた日の明け方、1秒も遅れず起きようと思って1時前に目が覚めたけれ
ども、起きられませんでした。このことについて研究して、書いた御言葉です。)

 

人間はそれぞれ「制限された力」がある。その力をもって分けて使います。

 

<肉の力>も無限にあるのではありません。自分が使える力があって、それ以上重いものは持ち
上げられません。

これと同じく、<人間の脳>も<考え>も「限定された力」がある。それ以上のものは外
部から考えを受けなければなりません。

 

脳が疲れたら考えがはっきりせず、眠い状態になります。

 

ある日続けて手に力を入れて書いたら、ボールペン1本も握る力がなくて、落としてしま
った。これと同じく、<脳>も続けて寝ないで使ったら、疲れて考えがちゃんと浮かばず
、ぼやけます。

 

脳が疲れたら体全体もちゃんと機能しません。

<限定された脳の力>を調節して、分けて使わなければなりません。

 

<肉体>が限定された力のほかに力を続けて使うから、体中の節々(ふしぶし)が痛くな
ります。無理をしたからです。

 

<脳>も無理をしたら病気になります。

 

<両手>を無理して使ったら、物を手に握っても力がなくて落としました。

 

<脳>も力がなければ、脳で「考え」が浮かびません。
<脳>が眠ければだめです。
<考え>は眠くなくても、<脳>という体が眠ければ、考えで止めることができません。

 

<車のエンジン>が過熱したなら休まなければならないように、<脳>も休まなければな
りません。

 

<体>も力がなければ、休んでこそ力が充電されます。

背負子を背負っていく途中、力がなければ足を動かせません。その時は5分ぐらい休んで力を得て、また行くべきです。

 

これと同じく、<脳>も疲れた時は休んでから行くべきです。

 

霊も精神も考えもすべて「力の限界」があります。それ以上は続けてできません。

 

<走ること>も走っていたら息が切れ、「力の限界」があって、続けて走ることはできません。

 

<力>は限定されています。だから他のことはしないで、自分が「必ずしなければならないこと」にだけ力を使ってやるべきであって、「限定された力」をもってすべてはできないのです。

 

畑仕事をする時「肉体の力」が尽きたら、草取り鎌や鎌を手に握っても落とします。その時は休まなければなりません。そうしたら力が来ます。

 

<脳>も考えないで休んだら、疲れが消えます。

 

<目>も力が尽きたら疲れてよく見えないし、瞼(まぶた)が重くなります。この時は目を閉じて休んだら、またよく見える。

<肉体>も1日中働いたら疲れて力もなくなり、神経も鈍って感覚がなくなり、眠くなります。だから眠って休むのです。

体を使うなり脳を使うなり、1日中働いたなら、体全体を休ませてあげなければなりません。<休むこと>は「眠ること」です。<眠る時間>が「休む時間」です。

 

人間は24時間続けて働いたら体に無理がかかります。続けて働いたら病気になるから、個人によって4時間、6時間、8時間は寝て休まなければなりません。

 

あまりにも少なめに休み、寝たら、むしろ「仕事の能率」が上がりません。

 

<仕事をする時>も必ず休んでこそ「仕事の能率」が上がります。

 

手も足も目も脳もすべて休んで疲れを取ってこそ、「仕事の能率」がもっと上がります。

 

ほかの仕事をしたら祈りがすべき時間にできず、すべき時間に全部祈ったらほかの仕事ができませんでした。この祈りの以外にも、ほかの仕事も必ずしなければなりませんが、力も時間も足りなくてできませんでした。脳が疲れるから、神経が無気力になり、眠くてだめだったの
です。
このことについて研究したら「脳の力が限定されていてだめだということ」を悟るようになりました。

 

<明け方の祈り>も、自分が決めた時間に起きてやるためには、早く寝て休んで「時間の調整、力の調整」をしてこそちゃんとできるようになります。

 

遅く寝たら、脳の疲れがちゃんと取れなくて、決めた時間に起きられなくなります。

 

<脳>も<体>も各自習慣づけ、錬達したとおりに使うけれども、「限定された力」を無理して使ったら、「決めた時に起きる機能」が果たせません。

 

<寝て起きること>も、「脳の疲れ」がすべて取れたら、ちゃんと作動して目が覚めます。

 

これはちょうどしびれた足が、しびれが取れたら自動的に血が流れ、神経が感覚を取り戻すのと同じです。

 

<脳の疲れ>と関係なく聖霊が起こしてくださる時もあります。これも聖霊が「脳の疲れ」をほぐしてくださって、早く目が覚めるのです。

 

<体>をほぐしてあげれば、より早く疲れが取れるように、<脳>もほぐしてあげれば、より早く疲れが取れます。

 

<脳や神経の力>を強く長く使うためには、運動して体を錬達するように錬達し鍛錬しなければなりません。そうすれば2倍、3倍以上使うようになります。

 

<信仰>も錬達し鍛錬すれば、平素より3倍以上もっと強くなります。

 

神様は「神様がお使いになる人」を長い間錬達し、スポーツ選手のように鍛錬させて、作って「超人」にならせて、お使いになりました。

 

みんな自分の体と心と考えも、スポーツ選手のように錬達し鍛錬して使いなさい。

 

<水泳がまったくできない人>も練習して錬達すれば、100倍ももっとよくできます。水泳を学ばなくてできない時は2メートルもちゃんと行けません。学んだら100メートル、500メートル、1000メートルも行くから、100倍ももっとよくできるようになります。

 

<信仰>もそうです。
祈り、伝道、講義、管理、さまざまな芸術や万事のすべてのことも、各自、目的をもって学んで錬達して挑戦してこそ成功します。

 

<スポーツ競技をする時>も学ばず錬達もしないで挑戦したら負けるように、<試験の時>も学ばずに試験勉強もしないで受けたらいい点数をもらうことができないように、<信仰>もそうです。学んで錬達しつつ挑戦するのです。

 

2017年9月12日 明け方の箴言より

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