継続の行いが難しいのは
<好きでないと続かない>から。
行う、実際にやってみるというのは
簡単なようで実際は難しいです。
特に継続の行いというのは本当に難しいです。
「3日坊主」というのは、真理です(ΦωΦ)
私は本当に飽きっぽくて、移り気です。
同じことを延々と繰り返すのが本当に苦手です。
いろんな経験はそれなりにあっても、いわゆる広く浅いです。
でも一度決めたら 誰が何を言おうが関係なく深ーく突き進め、継続もできます。
この飽きっぽさと、継続の差を考えてみたら
結論、自分が好きかどうかでした。
神様が私に
「好き」
という気持ちを与えてくださったから
継続できました。
自分が好きであれば、もっとよいものに見えて、もっと愛するようになる
私は、とある大学生が
どうにも好きになれなかったことがありました。
(←なんて失礼)
で、祈ってみました。
「神様、私がこの子を好きになれますように」
祈れば祈るほど、その子のことがどんどん好きになっていき、仲良くなれました。
それから10年以上たった今でも仲良しの一人です。
私達の仲は継続しています。
継続が苦手な方、でも継続したい!という方は
神様に、「好き」という気持ちがもらえるように祈ってみてはどうでしょうか?!
どういうときに心が冷めるのか?理由は一つです。やりたくない、好きではないということです。
みんな好きでするように祈り、願い求めてください。祈らなければなりません。
「私の心にその心があるはずだ。この心を見つけるようにしてください」と願い求めるんです。
もっと言えば、何が好きになるかで、継続力にさらに差が出ます。
神様を好きになると、付随して好きなものがどんどん増えていきます。
全てを成すうえで、何よりの原動力になり、継続の力になります。
自分が好きでなければ、もっとよいものとして感じられないし、価値あるものとして見えないし、思い浮かぶこともなく、好きにもなりません。
神様とと救い人に対してもそうです。
自分が好きであれば、誰かに言われなくても心、考えが熱くなります。熱を受けます。その時から「神様と主」のために、さまざまな働きをするようになります。
自暴自棄しそうなときも祈りましょう!自分が祈れないときは人に祈ってもらいましょう!
冷めていく自分の心のために祈り、冷えきっていく自分の心のために祈り、火のように熱くない自分の心のために、「どうして私はこうなんだろう?」、祈ってください!
引用中の御言葉は全て
2016年2月28日 自分が好きであれば、もっとよいものに見えて、もっと愛するようになる
より抜粋