人間は強い人が別に決まっているわけではない。弱い人も強くし、熱心にやったら強い人になれる。強い人も強くやっていたけれども、熱心にやっていたけれども、熱心にやらなくなったら弱い人になる。
「ああ、私は弱い。軟弱だ」。それはやらないからです。熱心に強くやらないから弱い人になってしまったのです。もちろん、強くやることは一遍にできることではありません。漸進的に、です。何かをする時、一滴一滴水が落ちて、コップいっぱいになります。一日中落ちたら、それはすごい量になります。その一滴一滴の水で頭を、髪を洗ったり、そして体を洗ったりするくらいになります。そのように持続的にやることがすごいのです。
二種類の人がいます。ある人は、持続的に根気強くやる人がいます。ある人は、ガッとやって、倒れてしまう人がいます。もちろん、ガッとやる時にはやらなければなりません。そうした時に超えられないところを超えることができます。あることは根気強くやらなければなりません。
きっぱりと、ガッとやる時が必要でしょう。ある時は根気強く。この二つのことが必ず必要です。
ある人たちは、そのうちの一つしかないのです。根気強くばかりする人たちがいます。そういう人たちは、越えなければならない障害物を越えることができません。みなさん、障害物競走の競技、ありますね?その飛び越えなければならないところは飛び越えなければなりません。
ガッとする人たち。しかし、そればかりだと根気強く遠い道を行くことができません。だから、両方を持っていなければなりません。それが知恵、知識の言葉です。
知識と知恵は一体となって生きなければなりません。知恵だけでは駄目です。知識が必要です。知識だけでも駄目です。知恵が必要です。
生活の中で変化しなければならないところ、自分がよく分かるでしょう?全部変化しなければなりません。直さなければなりません。パッパッとやっていかなければなりません。やれば強者になります。やらなければ誰でも弱者になります。
健康もそうです。少しずつ少しずつ健康を失って、それを補わないとなくなってしまいます。健康がなくなってしまいます。それで、積もり積もって手術をするようになるし、死に直面するようになります。こういう大変なところまで行ってしまいます。
過労が積もり積もって倒れたらおしまいです。だから、積もり積もることがないように。少しずつ少しずつ眠れない。そうしたら、いつかは寝なければなりません。解決しなければなりません。健康もすべて同じです。
忙しいからといって運動しないと、それが積もり積もって足がズキズキします。腰が痛くなります。無気力になります。説教に差支えがあります。明け方に起きられないのです。だから、それを解かなければ、ほぐさなければなりません。そうじゃないと存在できません。みなさんも同じです。知恵を持って賢く解決しなければならないということです。
2016年10月17日
明け方の御言葉より