<2019年10月6日主日の御言葉>
<主題>理想世界
<本文>イザヤ書43章19節~21節
◆この御言葉は<神様が預言者イザヤを通して、選んだイスラエルの民に話された希望の御言葉>です。
イスラエル民族は周辺の大国からいつも脅かされていましたが、この時神様は預言者イザヤを通して<以前神様がイスラエルの民と共になさった歴史>を思い出すようにして、希望を与えてくださいました。
◆特にイスラエルの民がエジプトで400年間過酷な奴隷生活をしていたとき、神様はモーセを送って、第一次エジプトからシン荒野、第二次シン荒野からカナンの地へ抜け出すようにしてくださいました。
神様は特に「この時」を思い出すようにし、イスラエルの民に希望の御言葉をくださいました。
◆モーセの時の状況はどうでしたか?
400年間エジプトの奴隷生活をしていたイスラエルの民に、神様は時に従って<モーセ>をエジプトに遣わし、そこで成長しながら「自分の民の状況」を見るようにさせました。
そして時になって<モーセ>に命じて、イスラエルの民をその過酷な奴隷生活から抜け出すようにしました。
◆ところで<エジプト>は小さい国でしたか?その当時「力と権力を握っている大国」でした。したがって「莫大な軍事力」も持っていました。
それなのに「その周辺国家の中で最も弱小国であったイスラエル」がエジプトの手から逃れるということは、話になることでしょうか?
ま~ったく話にならないことでした。
イスラエルの民も、いくら神様の御言葉であったとはいえ、エジプトを思うとき恐れおののき、不可能だと思いました。
◆しかし<イスラエル>はどのような国でしたか?<神様が選んだ民族>でした!<神様が愛する民族>でした!
もう「神様の時」になりました。
<神様の時>になれば、誰も<神様の新しいこと>を止めることができません。
神様は<時>に従って「指導者モーセ」を通してイスラエルの民をエジプトの奴隷生活から抜け出すようにしました。
神様が<モーセ>を遣わし、<イスラエル>と共になさったので、その大国のエジプトが止めることができませんでした。
エジプトがイスラエルの民を手放さなかったので、神様はエジプトに<10の災い>を降らせ、最後にものすごい軍隊がイスラエルの民を追いかけた時も神様は<紅海>を割いてイスラエルの民だけが抜け出せるようになさいました。
◆イスラエルの民はモーセに従って<エジプト>から抜け出して、<第一次シン荒野>へ出てきました。
しかしそこが「終着地」ではなかったでしょう?
神様が先祖の時から約束なさった<カナンの地>が、彼らが行くべき「目的地」でした。
この時神様は<今日の聖書の本文の御言葉>のように働きかけました。
神様はこの路程を思い出すようにし、<神様が行なう新しいこと>を念頭に置いて、預言者イザヤを通してイスラエルの民に話されました。
◆神様がイスラエルの民に何とおっしゃったか、今<核心>だけを読んでみましょうか?
この御言葉はただ<その当時にだけ該当する御言葉>ではなく、<時代ごとに神様が行なわれたこと>なので、<今>のことも考えながら聞くことを願います。
旧約聖書イザヤ書43章1節ー17節
ヤコブよ、あなたを創造された主はこう言われる。イスラエルよ、あなたを造られた主はいまこう言われる、「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。
あなたが水の中を過ぎるとき、わたしはあなたと共におる。川の中を過ぎるとき、水はあなたの上にあふれることがない。あなたが火の中を行くとき、焼かれることもなく、炎もあなたに燃えつくことがない。わたしはあなたの神、主である、イスラエルの聖者、あなたの救主である。わたしはエジプトを与えてあなたのあがないしろとし、エチオピヤとセバとをあなたの代りとする。
あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛するがゆえに、あなたの代りに人を与え、あなたの命の代りに民を与える。
恐れるな、わたしはあなたと共におる。わたしは、あなたの子孫を東からこさせ、西からあなたを集める。わたしは北にむかって『ゆるせ』と言い、南にむかって『留めるな』と言う。わが子らを遠くからこさせ、わが娘らを地の果からこさせよ。すべてわが名をもってとなえられる者をこさせよ。わたしは彼らをわが栄光のために創造し、これを造り、これを仕立てた」。
目があっても目しいのような民、耳があっても耳しいのような民を連れ出せ。
国々はみな相つどい、もろもろの民は集まれ。彼らのうち、だれがこの事を告げ、さきの事どもを、われわれに聞かせることができるか。その証人を出して、おのれの正しい事を証明させ、それを聞いて「これは真実だ」と言わせよ。
主は言われる、「あなたがたはわが証人、わたしが選んだわがしもべである。それゆえ、あなたがたは知って、わたしを信じ、わたしが主であることを悟ることができる。わたしより前に造られた神はなく、わたしより後にもない。ただわたしのみ主である。わたしのほかに救う者はいない。
わたしはさきに告げ、かつ救い、かつ聞かせた。あなたがたのうちには、ほかの神はなかった。あなたがたはわが証人である」と主は言われる。
「わたしは神である、今より後もわたしは主である。わが手から救い出しうる者はない。わたしがおこなえば、だれが、これをとどめることができよう」。
あなたがたをあがなう者、イスラエルの聖者、主はこう言われる、「あなたがたのために、わたしは人をバビロンにつかわし、すべての貫の木をこわし、カルデヤびとの喜びの声を嘆きに変らせる。わたしは主、あなたがたの聖者、イスラエルの創造者、あなたがたの王である」。
海のなかに大路を設け、大いなる水の中に道をつくり、戦車および馬、軍勢および兵士を出てこさせ、これを倒して起きることができないようにし、絶え滅ぼして、灯心の消えうせるようにされる主はこう言われる。
◆神様はこの御言葉どおりに働きかけました!
◆そして話されました。
イザヤ書43章 18-21節
「あなたがたは、さきの事を思い出してはならない、また、いにしえのことを考えてはならない。
見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。
野の獣はわたしをあがめ、山犬および、だちょうもわたしをあがめる。わたしが荒野に水をいだし、さばくに川を流れさせて、わたしの選んだ民に飲ませるからだ。この民は、わが誉を述べさせるために/わたしが自分のために造ったものである。
◆神様はこの御言葉どおりについに!行なわれました。
神様は彼らと最~後まで共になさって、数多くの困難に全て打ち勝ち、先祖たちに約束なさったカナンの地を手に入れるようにし、結局<理想世界>を実現なさいました。
◆さっきも少し話したように、この御言葉はただ<その当時にだけ該当する御言葉>ではありません。
神様はその時その時、時代ごとにこのように!!行なわれました。
◆そのあとも神様は<旧約4000年の歴史が終わる時>まで<その時その時に該当する理想世界>を成してこられました。
<このような神様の御働き>は多すぎて全て記録することもできなかったし、また私たちがその時代を直接生きなかったので、<このような神様の御働き>がどれだけ多かったか知ることができません。
<聖書に記録された大きな御働き>だけが分かります。
◆<一番大~きい歴史的な理想世界>をあげるなら、旧約歴史以後<メシヤ・イエス様が来られて始まった<2000年の新約歴史>です。
<新約歴史>は神様が旧約で預言者たちを通して約束なさった<神様の新しいこと、新しい歴史の理想世界>です。
神様は<時>に従って「メシヤ・イエス様」を遣わし、<時代>が変わったので「時代」に従って<新しい御言葉>をくださいました。
神様が「モーセ」を通して<エジプトから抜け出し、カナンの地に行く新しいこと>を始められたので<新しい御言葉>をくださったように、神様が「イエス様」を通して<新約の新しいこと>を始められたので、時代に従って<新しい御言葉>をくださいました。
◆今も神様は<時>に従って使命者を遣わして<新約で約束した理想世界の歴史>を進行していらっしゃいます。<神様がこれから行なわれる新しいこと>ではなく、すでに<時に従って始まり、進行真っ最中である新しいこと>です。
この歴史は神様がイエス様を通して比喩で話されたとおりに、またイエス様の高弟(こうてい)である使徒ヨハネが深く祈って神様の啓示を受け記録したとおりの歴史です。
◆しかし<神様の新しいこと、理想世界>は「一人」ではできません。
イザヤ書11章1節以下のように、まずは<神様が遣わした人>が来なければならないし、その次は狼と羊、ヒョウと山羊、子牛と獅子、牛と熊のような<多くの人たち>があちらこちらから集まってきて、各自の個性を発揮して「共に」つくっていきます。
<月明洞自然聖殿>も一種類の石、一種類の木だけで建築したのではなく、いろいろな種類と大きさの石と木をもって建築したので、互いに「調和」を成して<美しく神秘的で雄大な世界>になりました。
これと同じく、<多くの人たち>が来て個性を発揮して共にしてこそ、互いに「調和」が成され、<美しく神秘的で雄大な理想世界の歴史>を広げることができます。
◆イザヤ書43章の御言葉のように、今も「その御言葉どおりになる御働き」が起こります!
イザヤ書43章5-7節
恐れるな、わたしはあなたと共におる。わたしは、あなたの子孫を東からこさせ、西からあなたを集める。わたしは北にむかって『ゆるせ』と言い、南にむかって『留めるな』と言う。わが子らを遠くからこさせ、わが娘らを地の果からこさせよ。
すべてわが名をもってとなえられる者をこさせよ。わたしは彼らをわが栄光のために創造し、これを造り、これを仕立てた」。
イザヤ書43章19-20節
見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。
野の獣はわたしをあがめ、山犬および、だちょうもわたしをあがめる。わたしが荒野に水をいだし、さばくに川を流れさせて、わたしの選んだ民に飲ませるからだ。
◆この聖句のように、世界、至るところからおびただしい命たちが集まってきます。
時間が経てば経つほどもっと手に負えないほど集まってくると、神様は絶対に預言し、約束なさいました。
◆歴史が進めば進むほど、<理想世界>がもっと大きく!!成されます。
だから<各自の個性体>が行なって「調和」が成され、<理想世界>がさらに完成します。
◆私たちが「もっと大きく、もっと価値があるように」行なえば行なうほど、<時代の歴史>も「もっと大きく」行なうようになります。小さく行ない、どんどん歴史の価値を失えば、小さいままにしかできません。
話してあげてはじめて分かります。私たちが「証人」です。<証人>が話してあげなければなりません!
イザヤ書/43章10節
主は言われる、「あなたがたはわが証人、わたしが選んだわがしもべである。それゆえ、あなたがたは知って、わたしを信じ、わたしが主であることを悟ることができる。わたしより前に造られた神はなく、わたしより後にもない。
◆私たちを通して、<私(あなた)>を通して<神様の新しいこと>が現れることを祝福します!
◆<婚宴の歴史>です。ある一日だけではなく、「毎日その日その日が歴史」です。
<毎日その日その日の婚宴をするためには、<神様が遣わした人>を「新郎」にして、<神様と聖霊様と御子>を「新郎」にして、<神様が主を通して今この時にくださる新しい御言葉>を具体的に聞いて行なって生きなければなりません。
<新郎にすること>というのはどういうことかよく分からないと言うのですか?
何よりも、誰よりも、<神様と聖霊様と御子主>を一番大切にし、敬って生きる生を生きることです。
◆<愛>なしには「婚宴の歴史」を行なえません。「絶対愛」でなければなりません。
何よりも、誰よりも、<神様と聖霊様と御子主>を一番大切にし、敬い、喜び、何よりも<神様の新しいこと、婚宴の歴史>を大切にし、愛して生きなければなりません。
このようにするとき、<神様と聖霊様と御子主>と「愛で一体」になって、<愛>が「食べ物」になり、「喜悦」になって、<もっと理想的な理想世界>を成して生きるようになります。
◆<自分>がそのように生きなければなりません。誰かがしてくれることのできる生ではありません。自分が<御言葉>を聞いて悟り、自分が行ない、自分がそのように生きてこそ、夜も昼も<婚宴の生>が理想的に成されます。
◆過ぎた日のことを考えてみてください。私たちがこの日をどれだけ待ちましたか?
「その時になれば、その日になればどんなにいいだろう?その日が来たら、未練なく生きよう!」と言ったでしょう?
それで切実に<聖霊>を呼び、ただ<主の御言葉>を脳に入れて、この日を待っていました。
今が「その時」です!
◆神様は全ての人々を喜ばせてあげ、毎日<理想世界>を行なっていらっしゃいます。
<絶対的な神様の新しいこと、新しい歴史>だから、揺れることなく!疑うことなく!行なうことを祝福します。